10月7日(土)
ネット検索していたら、一部の人には有名なフランス書院のページがひょんなことからヒットした。サイト内の「今月の放言」というコーナーの一部らしい。要は、各界の有名人にフランス書院や性について語ってもらうコーナー。有体に言えば、下ネタです。でも読んでみたら結構面白い。ちなみに、私は、フランス書院の本は未読。やっぱり抵抗がある。
アドレスの末尾をちょっとづつ消して、ひとつづつ上の階層に上がってみても、目次やバックナンバーのページはない。トップ・ページからその月のものを一回ぶんだけ読める仕組。
しかし、Google でフランス書院サイト内に限定して「今月の放言」(今月の放言 site:france.co.jp)を検索すると、ちゃんとヒットする。トップ・ページからは入れないが、サーヴァー上にファイルはちゃんと残っているらしい。
○今月の放言 site:france.co.jp - Google 検索
いくつか読んだ中なかで見つけた、辻よしなり(フリー・アナウンサー)のシビれる金言を:
http://www.google.co.jp/search?hl=ja&q=%E4%BB%8A%E6%9C%88%E3%81%AE%E6%94%BE%E8%A8%80%E3%80%80site%3Afrance.co.jp&lr=
女っ気のない青春時代の原因は、高校受験に失敗したことが始まりですね。[…中略…]大学受験のために一番多感な高校3年間に自分のもっていたあらゆる欲望を封印したんです。その3年間は女の子と付き合うなんてことはもってのほかでしたね。[…中略…]もう僧侶ですよ、オナニーを得意とする…。
10月8日(日)
最近、ジブリ映画『ゲド戦記』についての原作者ル・グウィン女史による公式コメントを暇つぶしに何となく訳してみたのをきっかけに、ジブリのサイトで見かけた、ポール・グリモー監督『王と鳥』(1979年)を見てきた。吉祥寺のサンロードの外れのバウスシアターという、補助席を含めても50席強の小さな映画館で上映していた。
宮崎駿が最も影響を受けた作品のひとつとのこと。確かに『カリオストロの城』は『王と鳥』そのまんまだった。ただ、カリオストロ公国の城内に仕掛けられた落とし穴(床がパカッと開いてルパンや銭型のとっつあんが落ちるアレ)の原型となる表現が劇中で何度も見られた。ただし、『王と鳥』の落とし穴は、王の意の沿わない人間が粛々と落とされていくもので、『カリオストロの城』のコミカルさは微塵もない。むしろ、全体主義・恐怖政治の表象として、スゴ味すら感じた。
高畑勲は、「ディズニーとは全く異なるその表現と、時代を鋭く捉えた隠喩の数々に驚嘆し」たそうだが、私の目には、ディズニーの影響は明白に思えた。
戦後のフランス映画は、ハリウッド映画の影響を受けながらも、戦争が落した影による独自の社会性と政治性を特徴としている、と私は理解しているが、『王と鳥』もそうした戦後フランス映画のヌーヴェル・ヴァーグのなかに位置づけることができるという印象を受けた(高畑解釈とは異なるが)。
しかし、『王と鳥』の独自性は、ヌーヴェル・ヴァーグがもつメッセージ性の「えぐ味」が、アニメという表現形式がもつ独自の娯楽性によってうまく調味されていた点。戦後フランス映画の敬遠されがちな難解さが緩和され、鑑賞可能年齢の射程を拡げることに成功していた。
ただ、古いアニメゆえ、ちょっと中だるみを感じたところもあったが(正直に告白すると、何回か寝てしまいそうになりました)、それを割り引いても鑑賞に値する映画だと思った。テーマ曲が秀逸だ。10月20日(金)まで上映とのこと。
10月9日(月)
アンナ・ポリトコフスカヤ女史が暗殺されたようだ。私のチェチェン知識のほとんどは、彼女の本から得たものだ。
言論の自由がいかに尊いか、痛烈に思い知らされた気がする。合掌。
チェチェン紛争でロシア当局による過剰な武力行使や人権抑圧を告発したロシアの女性ジャーナリスト、アンナ・ポリトコフスカヤさんが7日、モスクワの自宅アパートのエレベーター内で銃で撃たれて死んでいるのが見つかった。インタファクス通信などが伝えた。
遺体のそばに拳銃と薬莢(やっきょう)4発が落ちていた。ポリトコフスカヤさんは、ノーバヤ・ガゼータ紙評論員として99年からのロシア軍によるチェチェン侵攻の後で徹底した現地取材を重ね、プーチン政権の言論統制に抗して紛争の悲惨さを伝えた。
02年のチェチェン武装勢力によるモスクワでの劇場占拠事件では犯行グループが交渉役に指名。04年の北オセチア共和国での学校占拠事件では、現地に向かう機内で何者かに毒をもられ、重体になった。
ロシア・ジャーナリスト同盟のヤコベンコ書記長は7日、「彼女の死は何者をもっても代え難い損失だ」と述べた。
アンナ・ポリトコフスカヤ(三浦みどり[訳])『チェチェン――やめられない戦争』(NHK出版、2004年)
チェチェン紛争告発の女性記者射殺される モスクワ(朝日新聞 2006年10月8日)
10月10日(火)
爆笑問題のラジオで、太田光がある学者に対して怒っていた。その学者はブログで、「誰が太田光で書いたのか」と題して、太田の本がゴースト・ライターによって書かれたと示唆したからだとか:
ゴーストではないと思うが、日ごろの太田の粗い芸風(という自己演出)が災いしてしまったのだろうか。
ともあれ、太田 光/中沢新一『憲法九条を世界遺産に』<集英社新書 0353>(集英社、2006年)は、本屋でちょっと中を覗いてみたがそこそこ面白そうな雰囲気を漂わせていた。宮沢賢治にまつわる分裂したふたつのイメージ(戦後的解釈のなかの平和主義者・世界市民主義的な賢治と、石原莞爾や田中智学といった日蓮主義的植民地主義者(ってまとめて大丈夫なのか?)に強く惹かれていた戦中の賢治)を手がかりにしたもの。
戦後民主主義と帝国主義・植民地主義との結節点を体現した人物として宮沢賢治を読むという試みは興味深い。少し前に、押野武志『童貞としての宮沢賢治』<ちくま新書>(筑摩書房、2003年)という本があったが(みうらじゅんと伊集院光の共著『D.T.』を買った余勢で入手した「童貞本」のうちの一冊)、聖人視されがちな文学者をセクシュアリティーを軸に読むという視点は、それはそれで面白かったが、太田/中沢的な切り口のほうが、今日的なアクチュアリティーがありそうだ。
憲法九条は目下のところ一言一句たりとも改められていない。しかしながら、日本の自衛隊は、自国と直接関係ない国際紛争解決への参与のためにイラクにすら赴くことができてしまっているのが現状だ。したがって、憲法九条を世界遺産にすることが平和主義の貫徹へつながるか疑問だ。平和主義の趣旨を強化する改憲、いわゆる「護憲的改憲」という道もあるだろうが、今の言論状況では改憲論に紛れて回収されてしまう虞がある。平和主義者の私としては、とりあえずは改憲を阻止しながら、平和主義的な議論を再び醸成した後に、改めて憲法をどうするか考えるのが次善の策かもしれないと感じる今日この頃。
太田光がファンのあいだに平和主義を育てることが出来るならそれは悪くない話だ。権力に近いところにいる人たちは信条の差異に関係なく和合するが、反権力者たちはお互いの些細な差異を理由に分裂する。平和主義者として、とりあえず太田光を応援。
わけあって、太田光・中沢新一『憲法9条を世界遺産に』を読む。これから書く本に役立つ部分があったが、途中に幕間として書かれた太田氏の文章がとくに気になった。ただし、読んでいると太田氏とは別人格が書いているという印象を受ける。これは、『日本共産党』を読んだときにも感じたが、読んでいて、本人との開きが大きく、その点で困惑するところがある。たしかに、誰でも文章が書けるわけではないなかで、本が作られていく現状ではいたしかたないのかもしれないが、文章の筆者はいったい誰なのかと考えると、それを決めにくい。
これに対して太田は「あの程度の文章[幕間として書かれた太田氏の文章]なんか誰にでも書ける」「爆笑問題はお笑い芸人だから文章を書けない、という偏見がある」と苛立ち、島田の名前は最後まで出さなかったが「そいつは判断を間違うことで有名な馬鹿野郎なんだよ」とお怒りのご様子。
島田裕巳の「経堂日記」: 10月9日(月)誰が太田光で書いたのか