『ゲド戦記』に対する、作者のル・グウィン女史から公式コメント
映画『ゲド戦記』に対して、作者のル・グウィン女史から公式コメントが出ているとの話を聞き、実際に読んでみました。ル・グウィン女史は、言葉の選択にかなり気を使っていることがうかがえたものの、それにしてもかなり批判的な内容です。原作も映画も一瞥すらしたことはない私が、連休の暇つぶしに訳してみました。たぶん、すでにネット上に翻訳が存在していると思います(そしてそれらのほうが数倍優れていると思います)が、せっかく訳したので公開しておきます。
英語の原文と対照しながらお読みになることを推奨します。
○Ursula K. Le Guin: Gedo Senki, a First Response
http://www.ursulakleguin.com/GedoSenkiResponse.html
作品の内容を知らないゆえの誤訳が散見されると思いますが、ご愛敬。原作も映画も見ていないのです。そして私は、特に『ゲド戦記』 を応援している訳でもありません。あしからず。
2006年9月18日
MasaruS 訳
前もってひとこと:
ほとんどの著者は、映画スタジオによる自著の使用をコントロールすることはできません。一たび契約が結ばれると、その本の著者は制作に介在しない、というのが一般的なルールです。「クリエイティヴ・コンサルタント」などというレッテルは意味をもちません。本の著者に「どうして彼等は……?」なんて聞かないでください。著者も不思議に思っているのですから。
略史:
20年ほど前、宮崎駿さんがお手紙を下さり、アースシー本(当時は、そのうち三冊)を基にしたアニメ映画の制作に興味があるとおっしゃってくれました。私は彼の作品を知りませんでした。私はディズニー・タイプのアニメしか知らず、そういうものが嫌いでした。私は「ノー」と言いました。
6、7年後、友人のヴォンダ・N・マッキンタイヤーが『となりのトトロ』について教えてくれて、一緒に観ました。私はすぐに、そしてそれ以来ずっと宮崎ファンになりました。私は、彼を黒沢やフェリーニ級の天才だと思いました。
数年後、後期アースシー本の気のいい日本人翻訳者、清水真砂子さんが宮崎駿さんの知り合いだと判り、もしまだアースシーに興味があるなら、映画について喜んで話をしたいと宮崎さんに伝えてほしいと清水さんにお願いしました。
スタジオジブリの鈴木敏夫さんから感じのよいお手紙を頂きました。私は、ストーリーやキャラクターを極端に改変するという無知に対して強く釘をさしました。というのも、アースシー本は日本でも多くの読者によく知られているからです。映画づくりにおいて彼がイマジネイションを自由に発揮できるように、第一巻と第二巻のあいだの10〜15年間の時期を扱ってはどうかと宮崎さんに提案しました。つまり、大賢人になったこと以外には、この時期にゲドが何をしていたのか私たちには判りませんし、宮崎さんの思い通りにできるということです。(私がこんな提案をする映画作家は他にはまずいないでしょう。)
2005年の8月に、スタジオジブリの鈴木敏夫さんが宮崎駿さんといっしょに、私と私の息子(アースシーの著作権を管理するトラストのオーナー)と話をしにいらっしゃいました。わが家でのとても愉しい訪問でした。
私たちに説明された内容は、宮崎駿さんは映画づくりから引退したがっている、ご家族とスタジオは駿さんのお子さんの吾朗さんにこの作品をつくらせたがっている、ということでした。吾朗さんには映画づくりの経験はまったくありませんでした。私たちはがっかりし、同時に心配でしたが、プロジェクトは常に駿さんの承認を受けることになっているという印象を私たちは受け、現にそう保証されました。このように理解して、私たちは合意しました。
その時点で、映画の作業はすでにスタートしていました。子供とドラゴンのポスターを一枚頂き、駿さんがかいたホート・タウンのスケッチと、仕上がったヴァージョンもスタジオのアーティストから頂きました。
映画づくりの作業はその後、極端な速さで進みました。私たちは、駿さんが映画づくりに一切参加していないことにすぐに気付きました。
私は、駿さんから、そして後に吾朗さんからとても感動的な手紙を頂きました。私はできる限りの返事をしました。
太平洋の両岸で、この映画づくりに怒りと失望がつきまとっていることを私は残念に思います。
私は、結局駿さんは引退しておらず、他の映画をつくっていることを聞かされました。このことは、私の失望を深めました。私はそんなことを受け入れたくありません。
映画
息子と私は映画のプレミアを東京に観に行けなかったので、スタジオジブリは親切にもコピーを送って下さり、2006年8月6日の日曜日にとあるダウンタウンの劇場で個人的に上映してくれました。嬉しい機会でした。多くの友人が子供を連れてやってきました。子供たちの反応が得られるのは愉しいものです。小さな子供たちのなかには、ビクビクしたりオロオロしている子すらいましたが、年上の子供たちは映画に対して冷ややかでした。
上映後、私たちは、息子の家に夕食をとりに行きました。コーギー犬のエリノアーは、鈴木敏夫さんが芝生の上で逆立ちをしたときも、行儀よくしていました。
宮崎吾朗さんが私の帰り際に聞いてきました、「映画、気に入りましたか?」 こんな状況で安易に答えられる質問ではありあせん。わたしは言いました、「ええ。あれは私の本じゃないわ。あなたの映画よ。いい映画だったわ」。
私は、彼とまわりの数人以外の誰にも話したつもりはありません。私は、私的な質問に対する私的な答えをできれば公開したくありませんでした。私がここでこんなことを言うのは、吾朗さんがこのことについて彼のブログで言及したからです。
ですから、15分間のあいだに起きたこと全部を先ほど公開した精神で、私は、あの映画に対する応答をもっと詳しく報告したいと思います:
映画の多くの部分は美しいものでした。しかながら、性急につくられたこの映画では、多くのシーンがカットされていました。この映画には『トトロ』の繊細な精密さも『千と千尋の神隠し』の力強く華麗な細部の豊穰さもありませんでした。
映画の多くの部分はエキサイティングなものでした。エキサイティングさは、暴力によって維持されており、本の精神と大いに反するものだと私は感じました。
映画の多くの部分は一貫していない、と私は思いました。その理由はおそらく、私のストーリーの中の人物と同じ名前をもつもののまったく異なった気質・歴史・運命をもつ人たちによって、混乱を招くようなかたちで演じられる全く異なったストーリーを鑑賞するあいだも、私は自分の本のなかのストーリーを見つけよう、追いかけようと努め続けてしまったからでしょう。
もちろん、映画が小説をなぞるように努める必要はありません――このふたつは異なった芸術であり、非常に異なった語りの形式だからです。膨大な数の変更もやむをえません。しかし、40年間も出版され続けてきた本にちなんだタイトルをもち、そういう本に基いている映画の中では、キャラクターや全般的なストーリーが忠実に守られていることを期待するのが道理というものでしょう。
日米双方の映画作家は、これらの本を、名前やいくつかのコンセプトを掘り出すための鉱脈のように扱いました。かけらや部品をコンテクストから取り外し、全く異なったプロットでストーリーを組み換え、一貫性と調和を欠いているのです。本に対してだけでなく読者に対して示された非礼が不思議に思えてなりません。
この映画の「メッセージ」は、いささか大雑把だと思います。なぜなら、本からきわめて忠実に引用されている場合が多いものの、生と死に関する見解やそのバランスなどは、本と同じようには、キャラクターや行動から導き出されていません。どう好意的に言っても、それらは、ストーリーとキャラクターのなかに示唆されていません。それらは、「自分のものになって」いません。ですから、それらは説教じみて見えるのです。アースシーの初期の三巻のなかのいくつかのセンテンスの片鱗はありましたが、そんなに大きく目立っているとは思いません。
本がもっている普通の感覚が、映画のなかでは混乱しています。例えばこういうことです。映画のなかのアレンによる父の殺害は、動機がなく恣意的です。闇の影あるいはもうひとりの自分によって行われたという説明には、説得力がありません。どうしてこの少年はふたつに引き裂かれているのでしょうか? 私たちには何の手がかりもありません。このアイディアは『アースシーの大賢人』から採られていますが、本では、ゲドがどういう経緯で、そしてなぜ彼を追う影をもつようになったか私たちは知っていますし、最後には、私たちはその影とは何なのかを知ることになります。私たちのなかの闇は、魔法の剣を振り回すことによっては取り除くことはできません。
しかし映画では、邪悪さは魔術師クモという悪漢のかたちでたやすく外部化され、簡単に殺され、このことによってすべての難題は解決します。
現代のファンタジーにおいては(文学的なものであれ政府によるものであれ)、人びとを殺すことが、いわゆる善と悪との戦争に対する通常の解決法です。私の本は、そのような戦争観に基いて表現されていませんし、単純化された問いに対する単純な答えを提供するものでもありません。
私は、私のアースシーのドラゴンたちのほうが美しいと思っていますが、吾朗さんのドラゴンが翼をたたむ高貴な様を素晴しいと思います。彼のイマジネーションか創り出す動物たちには優しさがあります――私は、ラマの表情豊かな耳が気に入っています。すきで畑を耕すシーン、水を引くシーン、動物をなだめるシーンなどを私は気に入っています。それらのシーンは、映画に地に足のついた実際の静けさを与えています――コンスタントな葛藤や「アクション」からペースを変える賢い変更だと言えます。これらのかなには、少なくとも、私のアースシーが確認できます。
肌の色の問題:
アースシーの人びとをほとんど有色人種にし、白人を周縁の後進的な人たちにした私の意図は、もちろん道徳的な意図であり、若いアメリカ人やヨーロッパ人の読者に向けたものです。ヨーロッパの伝統ではファンタジーのヒーローたちは、慣習として白人で――1968 年にはほぼ例外なくそうで――肌の黒さは悪と関連づけられることがしばしばでした。単純に見込みを覆えすために、小説家は先入観を切り崩すことができるのです。
アメリカのテレビ版のつくり手たちは、人種差別をしないと豪語する一方で、アースシーの有色人種の人数を1と2分の1にまで減らしたのです。私は彼らがアースシーを漂白したことに激怒し、彼らがそうしたことを許していません。
日本においては争点が異なります。私は、日本における人種という争点についてほとんど知りませんので、この点について云々することができません。しかし、アニメ映画というものは、そのジャンルのほぼ変更不可能な慣習にぶつかるものだということを私は知っています。アニメ映画に出てくる人びとのほとんどは――欧米人の目には――白人に見えます。日本の観客は異なった認識をすると聞きました。日本人には、このゲドが私の目に見えるよりも黒っぽく見えるとのことです。そうだと良いのですが。ほとんどのキャラクターが、私には白人に見えますが、少なくとも褐色やベージュの肌の人たちというバリエーションがありました。そして、テナーの金髪碧眼はその通り、というのも彼女はカーギッシュ諸島出身のマイノリティー・タイプだからです。
私たちはアメリカでいつ『ゲド戦記』あるいは『アースシー物語』を観ることができるのか?
それは、テレビ局とのテレビ版映画の放映権協定が切れる時、つまり2009年より前には無理でしょう。あぁ、こんなところにジャマ者が。
注:私たちに見せてくれたヴァージョンは字幕版で、英語吹き替え版ではありませんでした。スタジオジブリは秀逸な吹き替えを行いますが、一度でも日本語の声を聴くことができて嬉しかったです。ゲドの暖かくて、ダークなトーンは特に素晴しかった。そして、テルーが歌うかわいらしい歌は、映画が吹き替えになる場合もオリジナルのままのかたちで残して欲しいものです。
Copyright © 2006 by Ursula K. Le Guin
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Updated Saturday August 19 2006