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守衛所日誌
思いついたことを、思いついた日に書く不定期日誌。

2007年3月後半

3月17日(土)

図書館で、赤木智弘「「丸山眞男」をひっぱたきたい――31歳フリーター。希望は、戦争。」『論座』2007年1月号(朝日新聞社)を読んできた。だいたいこんな調子:

 また、彼ら[右傾化する若者たち]が不満や被害者意識を持っているというのなら、なぜ左翼勢力は彼らに手を差し伸べないのか。若者にしてみれば、非難の対象はまさに左傾勢力が擁護する労働者だ。だから若者たちはネオリベ政府に「労働者の権利を奪い取って、おれたちに分けてくれ」と期待してしまうのだ。[……]。(p.57)
まぁ、この辺まではいいだろう。
[……]だから私は、若者たちの右傾化は決して不可解なことではないと思う。極めて単純な話、日本が軍国化し、戦争が起き、たくさんの人が死ねば、日本は流動化する。多くの若者は、それを望んでいるように思う。(p.58)

 戦争は悲惨だ。

 しかし、その悲惨さは「持つ者が何かを失う」から悲惨なのであって、「何も持っていない」私からすれば、戦争は悲惨でも何でもなく、むしろチャンスとなる。

[……]国民全体に降り注ぐ生と死のギャンブルである戦争状態と、一部の弱者だけが屈辱を味わう平和。どちらが弱者にとって望ましいかなど、考えるまでもない。(p.59)

 赤木がどこまで本気で言っているのか判らないので、いちいちコメントするのも億劫だ。真面目に反論したらこっちの負け、そんな感じの文章だ。当の赤木にしても、計算の上の煽りだろう。それでも、ひと言。「国民全体に降り注ぐ生と死のギャンブルである戦争状態」とういう認識はあたらない。戦争状況においては、持つ者はさらに多くを得る。吉田茂・三木武夫・中曽根康弘・宮沢喜一……彼等は戦前戦中に何をしていた者たちか? 戦中のエリートたちは「生と死のギャンブル」などには参加せず、戦わずして勝ち組になり、戦後の政界・経済界において主導的地位を得たのは明白な事実。いま戦争が起これば、戦後の日本は、現在の2、3世議員・官僚の子弟により組織された内閣によって統治されるだろう。

 「生と死のギャンブル」があるとすれば、例えば、プレイヤーはマイノリティーや貧困層、賭場はバグダッド。軍隊に入り、自動車爆弾で粉ごなの肉片にならずに運よく帰国できれば奨学金がもらえる――こうした、どこかの国の「ギャンブル」の日本版になるだろう。

 タイトルの「「丸山眞男」をひっぱたきたい」は、徴兵された東大のエリートである丸山眞男二等兵を、中学もろくに出ていない一等兵が苛めることができたのは、戦争状況のなせる業だ、という話。一等兵の手が届くのは、せいぜい手近の「部下」の頬に過ぎない――これが赤木が戦争と引き替えに切望する「チャンス」なのか。

 ちなみに、赤木智弘は、2月23日(金)にラジオ出演していた。聴いていたが、この人が出ていたという記憶はなかった。

 ところで、『論座』2007年1月号の特集は「現代の貧困」(赤木の文章はその一部)。「現代の貧困」という表現は、私がもやっと感じていたことを言い当てていて、しっくりきた。湯浅誠「生活困窮フリーターと「貧困ビジネス」」という文章は、なかなか切れ味が鋭い:

 しかし、「格差」では十分に明らかにならない問題がある。それが「貧困」だ。「格差」に対して、政治家・財界人は「活力ある社会のためには、ある程度の格差は必要」という言辞を繰り返してきた。「努力した者が報われない社会はおかしい」と言われれば、それに抗するのは困難である。だが、「格差」の下のほうが「貧困」にまで至っているとすればどうだろう。政治家・財界人も「ある程度の貧困は必要」とは口が裂けても言えない。「貧困」という言葉は、「あってはならない」という価値観を伴っているからだ。

 今、多様な分野における不平等(格差)によって、相当数の人々が貧困に押しやられている。そのことを問題にしなければならないはずなのに、「貧困」という言葉はなぜか回避され、格差容認論者たちに逃げ口上を許してしまっている。(p.34)

人間は言葉を通じて世界を知覚するということを、つくづく思い知らされる下りだ。赤木くん、もう少しがんばりましょう。ただ、赤木智弘のおかげで、思わぬ拾い物ができた。

 フリーターが200万人を割ったというニュースを少し前にやっていた。前年に比べ14万人減り、187万人になったとか。フリーターの厚生労働省による定義は、15〜34歳のパート、アルバイトとして就労している人、またはパート、アルバイトを希望している無職の人らしい。フリーター200万人割れを景気回復の結果だと政府は胸を張りたいのだろうが、34歳のフリーターが35歳の「何か」になっただけかもしれない。となると、15歳のフリーターが35歳になる20年後には、フリーター問題は完全に「解決」するということか。格差容認論者たちに逃げ口は続く。

深夜のシマネコ
  http://www7.vis.ne.jp/~t-job/

特定非営利活動法人 自立生活サポートセンター もやい
  http://www.moyai.net/

あうん
  http://www.awn-net.com/

OhmyNews:「格差」ではなく「貧困」の議論を
  http://www.ohmynews.co.jp/News.aspx?news_id=000000001938


3月18日(日)

森見登美彦がブレイクしているらしい。私は、デヴュー作の『太陽の塔』(新潮社、2003年)のときから目をつけていたゾ……と自慢してみる。2007年本屋大賞にもノミネートされているとか。個人的には、ノミネート作の『夜は短し歩けよ乙女』(角川書店、2007年)よりも『太陽の塔』がよかった。とにかく愉快な作風。友人に『太陽の塔』を薦めたら、「可笑しすぎて電車で読めない」と好感触だった。

この門をくぐる者は一切の高望みを捨てよ
  http://d.hatena.ne.jp/Tomio/

全国書店員が選んだ いちばん!売りたい本 本屋大賞
  http://www.hontai.jp/


3月24日(土)

本田直之『レバレッジ・リーディング――100倍の利益を稼ぎ出すビジネス書「多読」のすすめ』(東洋経済新報社、2006年)と言う本がビジネス書のベスト・セラー・ランキングに入っていた。

 私は、基本的にビジネス書に興味がない。それに、いくらすすめられても、読むのが遅くて「多読」できない。

 ただし、ついに読書すら「レバレッジ」などという金融用語を用いて語られるのか、と感慨に耽る。新自由主義は人間の精神の隅ずみまでにまでに浸透している。出だしのところを見てみると「読書は投資活動だ」「1500円が15万円になる」などという言葉で読者を煽動していた。こういうキャッチ・フレイズにグッと来る人間は、ヒルズを目指しなさい。


3月25日(日)

石原慎太郎が、都知事選公示直前の街頭演説か何かで、オリンピックはみんなで楽しめる祭みたいなものだとかナンとかいっていた。

この人の基本姿勢は、税金を使ってパ〜っと楽しむということらしい。ある意味、一貫している。僕も公金で贅沢メシが食べたいよ〜。今日もオレは自炊だ。文句あるか! 石原は、浅野史郎候補のマニフェストを「抽象的」だとして、「江戸っ子向き、東京っ子向きじゃないねぇ」と評していたが、キミは即物的すぎはしないかい?。

OhmyNews:【動画】24、25日の石原氏
  http://www.ohmynews.co.jp/News.aspx?news_id=000000006226

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