3月3日(土)
本屋で見た『論座』4月号の表紙に目が留った――「グッとくる左翼」。
左翼になりたいとも思わないし、自分が左翼であるとも思わない。しかし、反権力のほうがカッコいいとは思っている。権力の威を借りて他者に石礫を投げるような連中を私は憎む。イラクで人質に取られた人たちを「自己責任」の旗印の下に攻撃したり、中国・韓国・北朝鮮バッシングする記事が載ると週刊誌の売り上げが上がったり――国家権力に寄り添うことで権力機械の身体を得て、分不相応の力を当然のものとして行使することがカッコいいとすら受け取られている現状に虫酸が走る。自分で考える人間であることを棄てて機械の一部になる流行が我慢できない。反権力は、自分が人間的であり続けるための作法のようなものだ、と心得ているのである。
ともあれ、「グッとくる左翼」とはうまい言い回しだ、と思った。確かに、最近の左翼はグッとこない。弱り目の極右の首相、弱り目の極右の都知事に誰もとどめをさせず、労働組合の体たらくぶりには呆れてモノも言えない。さて、どのような内容になっているのか? さっそく購入。
この特集は、大まかに言うと次のような三部構成になっている:
雨宮処凛「『貧乏』を逆手に反撃が始まった――右翼を経て、すっかり左傾化した私」では、高円寺を拠点に活動している「貧乏人大反乱集団」という団体が紹介されている。この団体は「『突如として街中で大宴会を強行し、通行人を巻き込みつつ、有無を言わさず解放区を出現させるというゲリラ集会』(「貧乏人新聞」から)を開催」するとのこと。記事には警官隊と野次馬に囲まれながら新宿駅南口で鍋を囲む「鍋闘争」の様子が写真で紹介されている。また、
雨宮処凛が自分が「右翼を経て、すっかり左傾化」する経緯を語った部分は、笑ってしまうが、興味深い:
一方、右翼の人たちの言葉はわかりやすい。「お前が生きづらいのは、全部アメリカが悪いのだ!」とぶった斬る。その言葉によって私は「自己責任」から開放された。[……](p. 39)
少なくとも私は、彼ら/彼女らの貧乏に開き直る戦術には乗れない。諦めの悪い私は、開き直ったフリをして何とか強烈な一矢を報いたい。何より、 「貧乏に開き直れ!」というモットーでは間口が狭すぎる。かといって古い左翼のように活動・運動や運動に身を投じる生き方も、1990年代に入ってからは一層、同様に間口を狭めつつある。弓矢を捨てる生き方も、弓矢に没頭する生き方も、現実味が薄すぎる。日常生活を送ることそれ自体が抵抗になっているような面従服背の生活、いわば「生活の中のゆるい抵抗」への回路が開かれるのが最も望ましい、と私は思う。スロウ・ライフような運動には、参考になる点があるように私は思う。
『論座』編集部、小丸朋恵のルポ「地位でもなく、おカネでもなく、とりあえず、こたつ。」は、「貧乏人大反乱集団」のオルグ(笑)松本 哉(32)の活動の契機となる認識を次のようにまとめている:
「一緒にいても、楽しくない」
ついでにネタとして、「貧乏人大反乱集団」を組織する面面は、高円寺の「素人の乱」というリサイクルショップ・古着屋・カフェ&バーを展開しているのだとか。カフェでは「革命ランチ」(ウーロン茶つき)350円、「革命コーヒー」(メキシコの反乱軍サパティスタから豆を仕入れている)200円、「反革命コカコーラ」などが出されているとか。
(2)研究者による分析
以上のような活動に対する毛利嘉孝の分析は正鵠を射ている:
しかし、そのように「あんたが馬鹿だから」で切って捨ててしまう左は、相手の欲望が本当はどこにあるのかを、致命的に見て取ることができていない。[……](p.52-53)
(3)赤木智之「「丸山眞男」をひっぱたきたい――31歳フリーター。希望は戦争。」(『論座』2007年1月号)に対する応答。
最後の「「丸山眞男」をひっぱたきたい――31歳フリーター。希望は戦争。」への応答では、佐高 信、赤旗編集局長、福島瑞穂などが寄稿しているが、正直言って彼ら/彼女らの文章は「グッとこない」。
これについては、まだ赤木智之による問題の文章を読んでいないので、何とも言えないが、読んでみたい気がしている。しかし、おそらく、応答者たちの言葉は、件の31歳フリーターには響いていないだろう。そして、上で紹介した新しい左翼の若者たちにも響かないだろう。現代のもたざる者たちは、運動に割く時間も精力もないのだ。そして、古いグッとこない左翼たちの刃こぼれした鈍な教条で一刀両断にできないほど、権力は生活の至るところに転移して、日常を蝕んでいるのだ。現代のもたざる者たちが生きているこうした困難は、古いメスでは根治できない。
微分化しながら拡散浸透している新しい権力は、中心をもたないとはえいえ、新自由主義として像を結びつつある。敵の姿が顕在化しつつあるこの瞬間に、古い左翼と新しい左翼は割れている。『論座』4月号「グッとくる左翼」特集は、そのことを体現しているという点で興味深かった。
○素人の乱 top:無料ネットラジオ&ショップほか
(1)高円寺を拠点に展開される若い世代の左翼による活動の紹介
(1)高円寺を拠点に展開される若い世代の左翼による活動の紹介
(2)研究者による分析
(3)赤木智之「「丸山眞男」をひっぱたきたい――31歳フリーター。希望は戦争。」(『論座』2007年1月号)に対する応答。
03年のクリスマスには六本木ヒルズで「クリスマス粉砕集会」を敢行。[……]だが、鍋を始めようとした瞬間、3000人(!)もの警官隊に蹴散らされ、たまたま通りかかった貧乏臭い格好をした人までもが「弾圧」されるという憂き目に会った。「全然関係ない人なのに、『お前、貧乏だろ!』って警察官に言われてすごいショックを受けていた(笑い)。[……]」(p. 37)
このほかに「三人デモ」という「裏技」も紹介されている。百聞は一見に如かず:
○YouTube - WE ARE THE THREE (ONLY!)
http://www.youtube.com/watch?v=-5NXX5zs5k4
実は私は右翼に入る前、左翼の集会にも行っていた。とにかく自分が生きていきづらいこの社会について、考えたかったのだ。その意味では、左翼でも右翼でもどっちでもよかった。しかし、高学歴な左翼の人たちの言葉は、高卒フリーターの私にはちんぷんかんぷんだった。彼らは、私には理解不能な専門用語を駆使して語り、ひとことも理解できない私は疎外感をつのらせ、その場をあとにした。
雨宮の結論は、「貧乏人大反乱集団」のように「貧乏に開き直れ!」というものだ。しかし、多くの人は開き直れないという現実があると私は思う。新自由主義に沿って初期設定された世界で生活を営むには、新自由主義のルールから容易に逸脱できないというジレンマがある。抵抗者たろうとする者も、知らず知らずのうちに生活に埋没して牙を抜かれてしまう。まして家族がいる者ならば、容易な開き直りは許されない。
自由、平等、反戦平和――。かつて、思いを同じくしていたはずの左翼・市民運動に参加してみて気がついた。
某社会学者風に言えば、権力に抗う者たちの「島宇宙」のなかに生まれた新たな権力が、権力に抗わんとする同士を抑圧する。反権力者たらんとする者は、既存の反権力の基地から離脱せざるを得ないという逆説。権力の作用に対して最も鋭い感受性をもつ者たちが、次第に権力から遠ざかり、反権力の有効射程の外に出てしまうという悲喜劇。
[毛利が出会った、高円寺「素人の乱」周辺で遊ぶ2人の女の子による]「私たちゴリゴリの左翼なんですぅ」という言い方は、「私たちは左翼でない/ある」という両義的な態度の表明である。こうした言い方に、こんにちの左翼のパブリックイメージに対する批評的な立場を見ることができる。少なくとも彼女たちは伝統的な意味では左翼ではないし、こう言っているからといって実際に昔の「ゴリゴリの左翼」になりたいわけではない。「ゴリゴリの左翼」はパロディーの対象であり、ネタにしておちょくるしかほかないのだが、しかしそのことを認めたうえで「左翼」を読みかえ、読みまちがえることで、既存のあり方とは異なる政治を模索しようとしているのだ。(p. 46)
これに続けて毛利は「今、私たちに必要なのは、彼らにならって「左翼」を作りなおすことである」とし、その途を示して次のように言う:
[……]左翼の最大の武器であったイデオロギー批判が機能しなくなったということがある。[……]現在のポストモダン的な状況では、どれほど強力なイデオロギー批判もやはり相対的なものでしかなく、[……]それに代わる新しい基準は、正しいかどうかではなく、おもしろいかどうかである。(p.47)
また、入江公康による次の指摘も重要だ:
[……]危惧されるのは、左が、右と名指しされる人間が抱いているであろう願望や夢、希望、情熱(もちろん裏返せば、それはたやすく嫌悪や憎悪、恐怖、敵意になるのだが)といったことがらに、ほとんど目を向けていないということである。そのような次元は等閑に付され、いともたやすく「間違い」や「過誤」として処理され/してしまう傾向がある。[……]
どんなに取るに足りない偏狭なナショナリズムでも、どんなに空虚で鼻白まずを得ない「美しい国」にまつわる空語でも、公論において一定の支持を得て、多くの人びとの「欲望」を動員しつつ特定のポジションを得ている以上、切って捨てる訳にはいかないのだ。一部140円で日本経済新聞を買っているエリートや、一部130円で朝日新聞を買っているインテリゲンチャは、一部100円で産経新聞を買っているポピュリスト右翼を無視してはいけない。
http://trio4.nobody.jp/keita/
3月9日(金)
またも、天皇の側近の日記が出てきたのだとか:
太平洋戦争開戦前夜から敗戦まで昭和天皇の侍従として仕えた故小倉庫次(くらじ)・元東京都立大学法経学部長の日記がこのほど見つかった。「支那事変はやり度(た)くなかつた」「戦争は始めたら徹底してやらねばならぬ」などと、戦時下の天皇が側近にもらした貴重な肉声が記録されている。
日記の主な記述は10日発売の月刊『文芸春秋』4月号に掲載される。文芸春秋によると、日記はノモンハン事件直前の39年(昭和14年)5月から、45年(同20年)8月の敗戦まで。宮内省(当時)の用箋(ようせん)600枚余りにつづられているのが、関係先から見つかった。
日記によると、39年7月5日、満州事変を推進した石原莞爾(かんじ)少将らを栄転させる人事の説明のため板垣征四郎陸相が天皇に拝謁(はいえつ)した。
その直後の様子について、「陸軍人事を持ち御前に出でたる所、『跡始末は何(ど)うするのだ』等、大声で御独語遊ばされつつあり。人事上奏(じょうそう)、容易に御決裁遊ばされず」と記述。陸軍への不満が人事をめぐって噴き出したとみられる。
日独伊三国同盟締結の動きにも不快感を示している。39年10月19日、同盟を推進した白鳥敏夫・イタリア大使が帰国して進講することになると、「御気分御すすみ遊ばされざる模様なり」と、進講を嫌がった様子がうかがえる。
日中戦争についての天皇の思いも吐露されている。「支那が案外に強く、事変の見透しは皆があやまり、特に専門の陸軍すら観測を誤れり」(40年10月12日)、「日本は支那を見くびりたり、早く戦争を止めて、十年ばかり国力の充実を計るが尤(もっと)も賢明なるべき」(41年1月9日)。
真珠湾攻撃後、日本の戦況が優勢だった当時は「平和克復後は南洋を見たし、日本の領土となる処(ところ)なれば支障なからむ」(41年12月25日)とも語っていた。
戦争への思いが最も率直に語られているのは、42年12月、伊勢神宮参拝のため京都に立ち寄った時のことだ。
「(戦争は)一旦始めれば、中々中途で押へられるものではない。満洲事変で苦い経験を嘗(な)めて居る。(略)戦争はどこで止めるかが大事なことだ」「支那事変はやり度くなかつた。それは、ソヴィエトがこわいからである」「戦争はやる迄(まで)は深重に、始めたら徹底してやらねばならぬ」
そして「自分の花は欧洲訪問の時だつたと思ふ。相当、朝鮮人問題のいやなこともあつたが、自由でもあり、花であつた」とも語っている。
戦況が悪化するなか、意見具申する弟宮たちに「皇族は責任なしに色々なことを言ふから困る」などと不満を漏らしたことも記載されている。
昭和天皇の戦時の肉声、元侍従の日記見つかる(朝日新聞 2007年03月09日)
別に、これだけでは何とも言えないので、『文芸春秋』4月号待ちか。
3月11日(日)
テレビをつけたら、プラスチックごみが軽油やガソリンに戻る油化装置の話をしていた。こういうのは夢があって好きだ。
室内で使えるような小型のモノも紹介されていたけど、高いんだろうなぁ。ひとり暮らしだと、野菜のクズとかの燃えるゴミの量はたかが知れていて、包装などの燃えないゴミのほうがよく出る。欲しい、油化装置。
○「南の島のゴミ革命」 〜油を作る!?魔法の機械〜
素敵な宇宙船地球号[第468回] 3月11日 23:00〜23:30放送
http://www.tv-asahi.co.jp/earth/midokoro/2007/20070311/index.html
3月12日(月)
浅野史郎――石原慎太郎に比べればマシかもしれないが、本質的には大差ない。
浅野史郎氏は11日、仙台市で開かれた講演会で、都知事選で当選した場合、副知事に女性を起用する考えを明らかにしました。
「わかりやすい一つの方向として、副知事に女性というのも、これはすっと私の胸に入ってくるかなと考えています」(前宮城県知事 浅野史郎氏)
現在、東京都の副知事3人が全員男性となっていることに異議を唱えたもので、石原知事に対抗するための新たな浅野流を打ち出しました。
自身への付加価値増大のために、女性を政争の具にしているに過ぎないのでは。結局は女性蔑視じゃぁないか。「副知事に女性」という言い方ではなく、都政の特定の懸案事項に関する類稀な専門知識と実務能力を持った具体的な人物を指名し、それがたまたま女性だったのであれば少しはマシだったのだが。せめて、そういうフリをするぐらいの知恵はないのかな。
浅野氏「都副知事の1人は女性に」 (TBS News i、2007年3月12日)
浅野くん、ナメた口のきき方するもんだなぁ。「女にしときゃウケがイイだろ。ハイ、いっちょあがり」ってなつもりか?
3月13日(火)
私は、経済に疎い。悲しいぐらい疎い。しかし、金融は、新自由主義の心臓部であって、現代社会を考える上で重要なポイントになってきていることは解る。なので一応、以下の記事をこの日記にメモしておこう:
日本経済新聞は2月28日付朝刊で「東京証券取引所が日興コーディアルグループ株を上場廃止する方向で最終調整に入った」と報じました。
これに対し東証は3月12日、日興株の上場を維持する決定をし、13日付で上場廃止の可能性を周知する「監理ポスト」から解除することを決めました。本紙報道と東証の決定が違った経緯を説明します。
日興は昨年12月に過去の決算で利益を水増ししていた不正会計が発覚し、金融庁から5億円の課徴金納付命令を受けた。これを受けて東証は同18日付で、日興株を「監理ポスト」に割り当てた。
日興は不正会計の経緯を明らかにするため弁護士らで構成する「特別調査委員会」を設置。調査委は旧経営陣らへの聞き取り調査などをし、その結果「旧経営陣の一部が主体的に関与していた」と判断、「不正会計は組織的」とする調査結果を1月30日に公表した。
日興は2月27日、有村純一前社長ら3人を対象に総額31億円の損害賠償を請求する訴訟を提起する方針を決定した。また同日、不正会計のあった過去の決算を訂正した有価証券報告書を関東財務局に提出した。
この間、本紙は東証や行政当局筋などの複数の関係者に取材した。東証幹部は2月23日、「日興の財務責任者が不正会計に関与しているなら、十分に組織的」として、日興が上場廃止基準に抵触する可能性を指摘した。
同24日には別の東証幹部は「(上場廃止にするかどうかの判断を左右する)多くの法律家の意見をとったが、全部が上場廃止だった」と答えた。また不正会計を主導した日興の旧経営陣など主な関係者に対して、東証の聞き取り調査がほぼ終わったことも分かった。
日興が訂正有価証券報告書を提出した2月27日には行政当局筋は「(訂正報告書の提出後でも)廃止の方向は覆らない」と明らかにした。
本紙報道後の3月6日、日興と同社株の4.9%を保有する米金融大手シティグループは共同で記者会見を開き、米シティが1株1350円で日興株を公開買い付け(TOB)し、子会社にする方針を発表した。
以上のような取材をもとに本紙は上場廃止について、十分な根拠を得たため、2月28日付で「日興上場廃止へ」と報道しましたが、東証は12日、最終的に「組織的に行ったとまでは確証が持てない」などとして上場維持を決定しました。この決定までの経緯も含め、今後とも本紙はこの問題について詳細に取材、報道していきます。
東京証券取引所は27日、日興コーディアルグループ株を上場廃止にする方向で最終調整に入った。昨年12月に発覚した不正会計が組織ぐるみで悪質と判断、日興が同日提出した訂正有価証券報告書を精査したうえで正式に決める。日興に対しては米シティグループやみずほフィナンシャルグループ(FG)などが支援の意向を示しており、日興は提携戦略を進める。顧客資産は上場廃止でも影響を受けない。
日興は昨年12月、子会社の投資会社を使い2005年3月期決算で利益を水増ししていたと発表。これを受けて東証は同18日に日興株を上場廃止の可能性を周知する監理ポストに割り当てた。
■ 日興コーディアル上場維持
上記事で話題になっている記事はこれ:
日経「日興、上場廃止へ」報道の経緯(日本経済新聞 2007年3月13日)
日興、上場廃止へ・東証が最終調整、4月に(日本経済新聞 2007年2月28日)