2月16日(木)
帰りに神田の三省堂に寄ってみた。
ひとつめに気になったのは、店内の棚の配置が変わっていたことである。別の階へ移動したコーナーもある。正直言って、書店の棚の配置が変わることは好きではない。実際に店内を回ることで少しづつ身についた棚の配置に関する身体感覚のようなものが狂うからだ。また憶え直しである。
次に気になったのは、雑誌『東京人』の最新号(No.225、2006年3月号)の特集が「さよなら交通博物館」だったことだ。注目している人はしているのだなぁ。アニメ/コミックおたくの友人に交通博物館に行ったことがあるかと聞いたら、ないと言っていた。もうすぐ閉館だと言うことも知らなかった。件の彼は「秋葉原にいると落ち着く」という奇妙な質の人物で、秋葉原には詳しいはずだが、交通博物館は彼の興味の埒外に在るのだ。
最後に気になったのは、『週刊新潮』の昭和31年の創刊号が、別冊として復刻されていたことだ。創刊50周年記念だとか。普段は『週刊新潮』など買わないが、面白いので買ってみた。面白かったのは「週刊新潮掲示板」というコーナーで、著名人がメッセージを掲載すると言うもので、谷崎潤一郎や伊藤整などの名前がある。特に面白かったものをいくつか引用してご紹介しよう:
三島由紀夫 文壇ボディビル協会設立したし。会員を募る。キャシャな小説家に限る。会長を川端康成氏にお願いしたい。目下会員は小生一人。事務所は三島由紀夫方庭内ボディビル道場。(作家)
「文壇ボディビル協会」だから作家からメンバーを募るのは仕方ないが、「キャシャな小説家に限る」というのはレギュレイションがキツ過ぎはしないか?
湯川秀樹 日本はジャーナリズムがうるさ過ぎる。専門外のことでも、わたしの興味のあることについて意見を求められることはよいが、全く関心のない事柄についてシツコク意見を求められるのには困る。また外電が入ったからといって、その事件について感想を、などと夜中に電話をかけてくることが多い。外電は夜中に入ることが多いのは承知しているが、事件を選んで電話してほしい。家内もこれについては困っている。(物理学者)
50年前から、マスコミは変わっていないのだなぁ、と感じさせるボヤき。
2月17日(金)
矢作俊彦/大友克洋『気分はもう戦争』(双葉社、1982年)を読んだ。
このご時世にもってこいのタイトルの作品なので読んでみた。内容としては、ラングレーとクレムリンとの出来レースとして中ソ戦が始まり……という話。大友作品の興味深さは、倒壊するビル群も裏路地の縁側に干してあるせんべい布団も、フル装備の軍人も割烹着すがたのオバチャンも同じディテイルで描かれることによって、通常は異質と思われるそれらのものが作品の中で等価なものとして配置され、日常に侵入してくるカタストロフィーがいつしか日常になってゆく様が巧みに描かれているところにあるのかな、などと感じる。大友がエポック・メイキングな漫画作家だったことがチョット理解できた。
一番気に入ったのは、主人公が中央アジアの砂漠の真ん中で乗り合わせたロンドン-ネパールの定期バスがロシヤ軍の空挺部隊に攻撃を受け、交戦中に、中国の九三軍がのこした大麻畑に火がつき、大麻の煙を吸ううちに戦闘がドタバタになってゆく……という話。
『気分はもう戦争』は、ここ最近の戦争モノの映画のように憂国の士として日本の亡国を嘆いたり、愛する者を護るための男たちの尊い犠牲を称揚する態度とは無縁。その点は良いが、取り方次第では、どちらにでも転がりかねない作品かもしれない。読み手の態度が問われる。
もうひとつ感じたのは、浦沢直樹は手塚治虫から受けた影響を強調するが、絵柄に関しては大友の影響を強く受けているのではないかと思う(とりわけ最初期の浦沢作品は大友的画風だ)。このことについて本人は何かコメントしているのだろうか。
『気分はもう戦争』は、シニカルな戦争諷刺と言う点では、フランシス・フォード・コッポラ監督『地獄の黙示録』(Apocalypse Now)の前半部分と多少通じる雰囲気があると思う。ただ、両者のエンディングは全く違う。この違いから、戦争に対する日本社会とアメリカ社会との態度の違いの一端が垣間見える気がする。この話は、いずれ。