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守衛所日誌
思いついたことを、思いついた日に書く不定期日誌。

2005年8月前半

8月15日(月)

石原慎太郎が産経新聞で月に一回連載している「日本よ」というコラムがあるが、先月(7月4日付)は「国家存亡の分岐点」と題して靖国問題を扱っていた。石原のサイトでもバックナンバーを読むことができるが、全文引用しつつ検討してみる。

 昨年高齢で物故した家内の伯父の遺品の中から、中支戦線で戦死した家内の父石田中尉から妻宛の手紙が見つかった。結婚間もなく長男が誕生し、つづいて次の子供を懐妊中の妻を残し三十過ぎての出征、甲府の連隊に参加後、中支の激戦地名だたるウースン・クリークでの戦闘で心臓への貫通銃創での壮烈な戦死をとげた。

  それまでの一年余の間、愛妻と生まれたばかりの男の子、そしてまだ見ぬ次の子供への切々とした思いを綴った百数十通の愛の形見を、これも五十前でみまかった家内の母親は死に際を看取っていた兄に自分と一緒に焼いてくれるように託したが、伯父は何を思ってかそうせずに止め置いていてくれた。中の一通には、妊娠中の妻に一目会いたくて、当時彼女のいた広島から甲府までの汽車の乗り継ぎ時間をこまごま自分で調べての案内もあった。

 最後の手紙は、前々日小隊長が戦死し先任士官として自分が指揮を取ることになったが、明日も予想される激戦でおそらく自分も戦死するだろうと記した遺書だった。そして彼は私の家内となった娘の顔を見ることなくこの世を去った。

 石田中尉の墓は横須賀の一族の菩提寺にあるが、あの戦争という国家の出来事を背景に亡き父親を想おうとする時、家内たち兄妹は靖国神社に参っている。戦没者の遺族のほとんどは同じ思いに違いない。

私は靖国神社を賛美しようなどとは毛頭思わない。ただ、靖国を梃子にして国家により動員された兵士が命を失ってしまったという事実、遺された者にとって靖国を参拝することがもつリアリティー――これを否定はしない。
 今年ようやく、特攻の母といわれた亡き鳥浜トメさんからの私自身の聞き語りを元にしたシナリオの特攻隊賛歌の映画化に入るが、二十前後で散っていった若い桜たちの合言葉は「靖国で会おう」、遺族には「靖国に来てくれ」だった。
ちょっとアヤしい雰囲気になってきた。「特攻隊賛歌の映画化」? これは、また問題になりそうだ。「二十前後で」以降は、上述と同様の理由で、それはそれで否定するつもりはない。
 これは戦争という出来事を背景にしたセンチメントなどでは決してない。国家の存亡の前に、もっと端的に自らの家族を守るため、その存続と繁栄のためにこそ敢えて死んでいった者たちの、時代や立場を超えて垂直に貫かれていくべき信条の唯一の証しとして「靖国」は在るのだ。それをいかなる他人も、いかなる外国も否定出来るものでありはしない。「靖国」は国家民族という枠をかまえて自らの生き方を思う者たちにとって垂直の価値、それを必要とする者にとってはいわば本質的価値の表象であって、歴史への解釈云々といった次元の価値観で左右され得るものでありはしない。かつての時代、どの国もどの民族もみんな死に物狂いに、生き残るために戦ったのだ。敗者勝者のいい分それぞれあろうが、それが嫌な者、見解を異にする者はただ靖国に行かなければいいのだし、他人事としてただ黙っていればいい。
「国家の存亡の前に、もっと端的に自らの家族を守るため」とあるが、前者を「もっと端的に」表現すると後者になるという意味であれば、ここでは国家と家族とが短絡している。戦時において「自らの家族」を危機に陥れているのが、他ならぬ「国家」ではないのか。そして、綻びた論理は放置され、「靖国」は「本質的価値の表象」であると言い切られる。この言切りは、ドグマに過ぎないが、確かに、一個人の内心の問題としてはこのような思想を抱くことは許されている。しかし、靖国は一個人の内心の問題として問われているわけではない。公人である自らの行為に対する市民の批判的監視を軽蔑し、「他人事としてただ黙っていればいい」などと言い遂せる無神経さが問題なのだ。東京都知事の言動は東京都民にとって「他人事」ではない。私たちが聞かされているのは、タフ・ガイやアウト・ローを気取る作家の声でも、癇癪もちの右翼老人の独り言でもない。
 家内が戦争未亡人の母親から受け継いで着ていた喪服のたもとには、彼女が戦後初めて靖国に参った時に乗った電車の切符が縫い込まれていたそうな。「靖国」は彼女の人生を支える芯(しん)の芯なるもの、心意気の象徴としてあったに違いない。それを一体誰が、何が無下に否定出来るというのだろうか。
ここでは、石原の「家内」の「人生を支える芯(しん)の芯なるもの」「心意気の象徴」として「靖国」が位置付けられている。その限りにおいては、即ち、石原夫人個人の内心の問題について言われている限りにおいては、靖国を「無下に否定」するつもりはない。
 かつて大戦を予測したローズベルトがベネディクトに依頼して出来上がった日本人論「菊と刀」に描かれている、高貴な日本人像の神髄とは、自己犠牲を厭(いと)わぬストイシズムと勇気だった。それは今日台頭しつつある隣の中国の民族的特質、その成就のためには手段を選ばぬ拝金主義とは極めて対蹠(たいしょ)的なものだ。彼等は日本からの経済収奪のためには手を選ばず、彼等が勝手に作り上げた歴史観、戦に勝ちもせぬ自らを勝者として祭り上げ、正当性の無い国際裁判を合法とした理屈で我々を揺すぶり、ふんだくれるだけのものをふんだくろうとしている。
ここで唐突に中国の登場。そして、この箇所では、中国が「正当性の無い国際裁判を合法とした理屈で我々を揺すぶ」っているという石原の認識が提示されているが、これは明らかに事実誤認だ。「正当性の無い国際裁判」=東京裁判(極東国際軍事裁判)を「合法とした」のは中国ではなく、他でもない当時の日本政府である。サンフランシスコ講和条約(1951年)で、植民地を放棄し東京裁判を受諾することとひきかえに、日本は主権の完全回復を果したはずだ(ちなみに、日本は、ポツダム宣言を受諾た後6年間、植民地を保持し続けたことになる。また、このときから沖縄はアメリカの「植民地」となった)。国家を愛する石原がそれを知らないはずはない。つまり、行われているのは、姑息な論理のすり替え以外の何ものでもない。当時の首相である吉田茂、あるいは権力の中心近くにいた岸信介、三木武夫、中曽根康弘など、戦前・戦中・戦後を通じて国家運営にその中心で参画してきた人物を責めるのであればまだ筋が通ると言うものだ。
 この国の中にもそれに応え、経済利益を唯一の国益と称し相手のいい分に屈せよと唱える者がいるが、それは所詮(しょせん)姑息な手立てでしかありはせず、その結果我々は最も大切な、国家の芯の芯に在る、掛け替えなきものまでを売ろうとしているのだ。それは我々が永遠に受け継がなくてはならぬ国家としての、民族としての心意気に他ならない。そしてそれを敢えて失うことで我々が中国以外のすべての他者から勝ち得るものはただ軽蔑でしかあるまい。それにどう考えても、もし総理が靖国参拝を中止したとして、中国がそれを大いに感謝評価し、にわかに友好に転じる訳もない。さらに我々の心の内にまで手をつっこんでの露骨な干渉となるのは自明のことだ。

 常識のレンズをかざして眺めれば、現今の関わりの中で中国の方が日本を失えないのは自明である。よしんば我々が市場としての中国を失ったとしても、日本の技術を含めた経済力をもってすれば他の代案はインドやシベリア等々優に有り得よう。中国を切り捨てることでしばしの経済停滞があったとしても、この豊かさの氾濫(はんらん)の中でそれを甘受出来ぬというなら、我々は実はすべての価値を失うことにもなりかねまい。

中国を一段下げて、「経済利益を唯一の国益と称し相手のいい分に屈せよと唱える者」を国賊としてもう一段下げ、中国を切り捨てることも恐れぬ自らを持ち上げる。
 国家はその芯の芯にある価値を阻害された時、取り返しがつかずに腐れ果て、蘇(よみがえ)ることはありはしまい。それは歴史の工学が多くの事例で証しているところだ。

 そして「靖国」が今後の日本にとってどのような意味を持つかを大きく決めるだろう瞬間は、今年のこの事態の中で、小泉総理の靖国参拝にかかっているといっても過言ではあるまい。

 歴史の分岐点というのは過去にも多々あったが、いずれにせよ、その時点で国民がいかなる価値観にのっとってそれにいかに対処したかにかかっている。

 我々は今性根を据えなおし、いかなる掛け替えにおいても守るべきものを自らのために、そして国家民族の将来のために守る決心をすべきに違いない。

この文章を通じて言えることは、石原は、靖国と国家、靖国と個人というふたつのモチーフを交互に提示しつつ、この両者を説得力あるかたちで結節させることにはことごとく失敗している。モチーフの交互の提示によって、靖国-国家-個人の一体性を石原の思想にすでに共振している人たちが情緒的に感じ取ることはあるかも知れないが、そうでない人たちが説得されるような論理は存在しない。せいぜい石原の望むべきは、このふたつのモチーフのあいだの断裂を「国家民族」という質の悪い接着剤で取り繕う程度だ。

 同じ連載コラム「日本よ」の 2001年4月4日付けで、石原は次のように書いている:

私が何よりも嫌いなものは、誰がいつ決めたのかは知らぬがすでに権威とされてしまっている、よろずの価値観とそれに依ったシステムだ。それは往々人間の自由な発想を阻害し、ひいては新しい発想の上にあるべき多くの発展や進歩を損ないかねない。そしてさらに、他と自らとを比較して眺め、自分自身を冷静に捉える相対感覚をも阻害してしまうし、歴史の流れの作る今の時代の新しい状況への基本的な認識をも損ないかねない。
そして、しばらく後に、このように続く:
[……]、日本社会の現況を眺めると、かつてエリヒ・フロムやアレキサンダーといった社会心理学者が指摘した、文化遅滞(カルチュラル・ラグ)なる、社会崩壊にも繋がる危険な社会的歪みがこの日本に露呈しているのがよくわかる。「文化遅滞」とは、人間が作った制度や体系が、それが促した社会の変化発展の結果としての現実にそぐわなくなっているのに、そのシステムを作った人間たち自身がそれに気づかずにいるままいろいろな齟齬をきたしてきて、それらのギャップがさまざまな社会不安や、ファッシズムを含むヒステリー現象を生み出し、やがては社会の崩壊をも招くということだ。
石原がフロムを引くとは意外だったが、それはさておき、ここでは石原は、硬直した国政および国と地方の関係について批判して言っているのだが、主題を靖国問題に置き換えて考えると、この批判は石原自身に突き返される。国家の「芯の芯に」「靖国」があるという価値観を保持し続けその再興を画策することこそが、「文化遅滞」と「危険な社会的歪み」を生むのではないか。ただし、石原が国家の「芯の芯にある」とする「靖国」という価値は、「誰がいつ決めたのかは知らぬがすでに権威とされてしまっている、よろずの価値観」ではない。この暴力的なイデオロギー装置は、国策として権威づけられ機能していたはずだが、「誰がいつ決めたのか」が根源的に問われることなく60年が過ぎ、いま目の前で国家主義が回帰しつつある。

 石原から見れば、私などは「亡国の徒」の最たるものなのだろう。


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