6月3日(金)
「マイケル被告」……どうして「ジャクソン被告」じゃないのだろう。
6月5日(日)
テレビで『SILMIDO ─シルミド─』を観た。ただ、最初のほうは、少し見逃してしまった。
粗筋は次の通り(これから観る人は、今日の日記は跳ばしたほうが良いでしょう)。囚人たちから抽出された兵士で金日正暗殺部隊(684 部隊)を編成し、シルミドという島で訓練を積むも、KCIA のトップの交代により 684 部隊は闇に葬られようとする。これに対して 684 部隊は、自らの存在を周知させるためにソウルの大統領のもとを目指すが、志半ばにして自決を余儀なくされる。
なんとも非道い話だ。実話に基づいていると聞いて、なおさら胸クソが悪くなる。最も切ないのは、反共のイデオロギーが創り出した 684 部隊が共産ゲリラとして抹殺されようとした点だ。さらに、当の 684 部隊の隊員たちの団結の寄辺が、北への潜入のために教え込まれた(のではないかと思う)労働歌「赤旗」(と思われる)だったということだ。映画としては決して良い出来ではないが、出来の良い映画にされても困る現実ではある。北東アジアはまだ冷戦の中にあることを改めて感じる。
6月6日(月)
このあいだは、米軍の戦争シミュレイション・ゲームが話題になっていたが、このようなシミュレイション・ゲームもあるとか。
このゲームは「Food Force(フードフォース)」で、舞台はインド洋に浮かぶ架空の島「Sheylan(シャイラン)」。内戦、干ばつで発生した避難住民数万人が援助を待っており、プレーヤーはWFP緊急援助チームの一員として向かう。ヘリコプターを使った現地偵察から開始。マウス操作で島内に散らばる住民にサーチライトを当て、制限時間内に人数を把握していく。その後、小麦や豆などを組み合わせてバランスの良い食糧を調達し、航空機やトラックで効率的に避難住民に届ける。
地雷や反乱軍兵士との折衝など多くの困難も克服しなければならない。緊急事態を乗り切った後は、教育や医療の対策を立てて、人々の自立支援計画まで作成する。(時事)
飢餓の島復興支援ゲーム、アクセス殺到 WFP(朝日新聞2005年05月22日)
上の記事では75万ダウンロードとなっているが、今や100万ダウンロードを超える大人気だとか。まだまだこの世も捨てたものではない。さっそくダウンロードして、やってみようかな。ココでダウンロードできます。
飢餓に苦しむ島へ支援に向かい、食糧調達から復興までを手助け―。昨年末のスマトラ島沖地震の復興支援をモデルにした世界食糧計画(WFP)のインターネットシミュレーションゲームに世界中からアクセスが殺到している。4月中旬の公開以降、75万人がダウンロードし、非娯楽系ゲームとしては異例の人気となっている。ゲームを通じ、飢餓や人道援助に関心を持ち、理解を深めてもらうのが狙いで、WFP日本事務所も利用者の拡大を期待している。
○WFP Foodforce - The Game, The Reality, How to Help
http://www.food-force.com/index.php/game/downloads/
6月8日(水)
日本経済新聞は、時どき新薬の特許問題について大きく取り上げる事がある。確かに、読者に医療関係や製薬業界人が多そうだ。今日の一面もそうだ:
[以下、省略]
[以下、省略]
私は、これらの記事を読みつつ、WTO の問題を想い浮かべてしまう。低開発国(とりわけブラジルの例が有名)で安価な抗エイズ薬などを提供するために利用されているジェネリック医薬品に関して、「知的財産権の保護」を名目に先進国の製薬会社が WTO に提訴したり、ジェネリック医薬品の製造メーカーに圧力をかけたりしている問題のことである。
医薬品の特許に関する問題については、テッサ・モーリス-スズキ『自由を耐え忍ぶ』(岩波書店、2004年)で非常に解りやすく説明されている。ちなみに、この本は、「エンパワーメントと対極に位置する今日の自由、というパラドックス」あるいは「不自由な自由」に対するオルタナティヴを模索するという視点から、グローバリゼイション・新自由主義の時代、とりわけ 911 以降の世界を考える要所を的確かつ平易にそして批判的に解説しているという点で、自由を考える市民にとって必携の書と言える。買って絶対に損はない。これ一冊読めば現代世界に批判的に向き合うための出発点に的確に誘導してもらえるでしょう。この本で予習して飲み屋で話せば「スゴイ」と思われること請け合いです(モテるかどうかは別)。
タイトルが秀逸だ。これは、ジョージ・W・ブッシュがイラクで展開した "Enduring Freedom"(「不朽の自由」)作戦を「自由を耐え忍ぶ」と読み替えたものだ。
内容に関しては、まず、アメリカ合衆国による「ならず者国家」に対する「戦争」と呼ばれる事態が、的確に「侵攻」「侵略」と指摘されていることで、溜飲が下りる。
次に、非常に重要な点だが、グローバリゼイションを語る際、多くの論者はこれを市場の暴走と国家によるガヴァナンスの喪失と評した(例えばスーザン・ストレインジは「国家の退場」と呼んだ)が、モーリス-スズキは、これとは逆に「市場の社会的深化」と指摘している。市場と国家がますます融合し、最もプライヴェイトな領域へ国家の公的権力が浸透しているという問題関心だ。後者の視点でなければ、アングロ-サクソン系諸国家を中心に拡がる福祉・軍事・行政(監獄の運営など)の民営化を説明できない。
医薬品の特許に関しては、「知の囲い込み」という章で、WTO の TRIPS(知的財産権の貿易関連の側面に関する協定)を痛烈に批判している。ここで提示されているのは、TRIPS は、ソフトウェアーやバイオテクノロジーなど知識集約産業への投資家を過剰に保護し、安価なソフトウェアや医薬品の消費者の利益を無視するものだ、という立場だ。
そして、象徴的ではあるが皮肉で滑稽でさえるのは、同書の「シャーマン養成プログラム」という節で指摘されている実例だ。大まかに要約すれば、シャーマンなどにより行われている土着の民間療法に含まれる医学的知識の財産権は、これを科学的に解明した企業などの団体や個人が所有し、シャーマンたちのものとはならない。TRIPS では「発明/技術革新」に関する知的財産権のみが保護され、シャーマンにより行われている民間療法は、「伝統的知識」に属し、「新しく」ない、という論理だ。南米のスリナム共和国のサラマンカでは、アメリカの産学共同事業体による現地での原材料調査から得られる利益を基金にして、伝統医療に関わる知識体系を次世代のシャーマンに伝達するプログラムが実施されているとか。
他に印象に残ったのは、2004年に今井紀明・郡山総一郎・明高遠菜穂子の三氏がイラクで拘束された事件が惹起した「自己責任論」を、新自由主義との関わりを指摘しつつ、次のように評している点だ:
後発薬の薬価は当初、新薬の七〇%に設定され、すでに他の後発薬がある場合は、そのなかの最低価格となる。後発薬が多い新薬には山之内製薬(現アステラス製薬)が開発したH2ブロッカー胃潰瘍(かいよう)治療薬「ガスター」などがある。(日本経済新聞 2005年6月8日朝刊より)
後発薬の利用促進 割安品、患者が選択 厚労省(日本経済新聞 2005年6月8日朝刊)
今年のゴールデン・ウィークの新聞で一番気になったのも、日本経済新聞の新薬の特許についての記事だった。これも一面だった:
厚生労働省は成分・薬効が同じ薬のなかで、後から発売し価格が安い後発薬の利用を促すため、医師が書く処方せんを見直す。医師が処方薬を指定する際に、割高な先発薬だけでなく後発薬も含めるように改め、患者が後発薬を選べるようにする。医療費の抑制につながるとみており、医療制度改革に合わせて、早ければ2006年度から実施する。
新薬「独占期間」延長へ 厚労省8年に 国際競争力高める(日本経済新聞 2005年5月7日朝刊)
ひょっとしたら同じ記者が書いているのかもしれない。
厚生労働省は新薬の保護期間を現在の6年から8年に延長する検討に入った。日本の保護期間は欧州に比べ短く、国内の製薬大手などからは画期的な新薬を開発しても投資費用を回収するのが難しいとの声が出ている。欧米の製薬大手による日本への買収攻勢が本格化するとの見方も強まる中で、国内メーカーの国際競争力を高める狙い。一方で保護期間後については後発薬の参入機会を広げて薬の価格の低下を促す。来年の医療制度改革にあわせて実施する方針だ。
ジェネリック医薬品についての簡潔な説明:
○医薬工業協議会/ジェネリック医薬品とは?
http://www.epma.gr.jp/generic_something01.htm
この極端な原理主義は、個々人は自らのことにのみ関心を持つべきであり、従って、なにごとも社会に要求せず、国家に「迷惑」を及ぼすことを禁ずる、ポピュリズムによるヒステリーの助けを借りた、政府および企業市場が強要する個人主義である。すなわち、自己責任の教義は、ここで全体主義的個人主義(totalitarian indivisualism)に変質する。(205 ページ)
「全体主義的個人主義」というパラドキシカルな妙言にシビレる。炯眼だ。
○テッサ・モーリス-スズキ『自由を耐え忍ぶ』(岩波書店、2004年)
おまけ
▼後発薬 新規に開発した「新薬」と成分や用法などが同じ医薬品。新薬の特許期間と再審査期間が切れた段階で厚労省が薬価を決め、メーカーが販売する。新薬は開発途中に副作用が明らかになったといった理由で断念する場合も多く、研究開発コストがかさむが、後発薬は開発コストが小さい。
6月9日(木)
電車の中吊りで知ったことだが、浦沢直樹が『鉄腕アトム』の「地上最大のロボット」をモチーフにして描いている『PLUTO』(小学館)が第9回手塚治虫文化賞を受賞したらしい。
『PLUTO』は私も読んでいる。浦沢氏のストリー・テラーとしての力量は確かなものだし、作品も面白いし、単行本もちゃんと豪華版で買っている――でも、この作品、なんかカユいところに手が届かない印象がある。この日記をご覧の皆さんはどうですか? アメリカによるイラク侵攻や人権問題(作品のなかではロボットの人権問題)などに取材し、現代の問題を「地上最大のロボット」という作品に託しているものの、イマひとつガツンとくるインパクトがないというか、宙ぶらりんな印象が否めない。今後に、畳み掛けるように物語が展開し、私の不満は払拭されるのかもしれない。でも、『MONSTER』のラストが盛り上がりに欠けた(と私は思っているのです)だけに、ちょっと心配です。
ちなみに、『笑芸人』vol. 16 (白夜書房)では立川談志が「地上最大のロボット」を朗読している付録CDが付いているらしい。聴きたい。
知人によると浦沢直樹の『20世紀少年』は面白いらしい。最初に読むタイミングを失ったため、未だ一話たりとも読んでいない。たぶん、近ぢか単行本をまとめ買いして一気に読むことになるんだろうなぁ。
6月10日(金)
今日の朝日新聞の朝刊一面は、なかなか衝撃的だった。長めですが以下の通り引用します:
業界団体によると、レジ袋は、国民1人当たり年間約300枚使われていると推定されている。家庭から出される袋は、容リ法ではプラスチックごみとして分別、再利用されることになっているが、減量化はなかなか進んでいない。そのため、消費者が持参するマイバッグの普及とともに、レジ袋の有料化が必要と判断した。
同省は、現在検討している容リ法の改正で、レジ袋の無料配布を禁止することも検討したが、「営業の自由」を侵すとの議論もあり難航。そのため、国はレジ袋の削減目標を定め、業界が達成状況を報告、公表するルールを作る。有料化を徹底させるために、業界を指導、勧告し、規制効果を持たせたい考えだ。
レジ袋の金額などの具体的な方法は、秋までに中央環境審議会などで詰めていく方針だ。
有料化されると、レジ袋は「商品」となり、容リ法の対象外となる。これまで、小売業界が負担していた再商品化への負担金も取れなくなることから、新たなリサイクルの仕組みも作りたい考えだ。
有料化を巡っては、生活協同組合ですでに1枚5〜10円で実施しており、レジ袋を使わない人にスタンプを発行し一定額を払い戻すなどの試みも各地で始まっている。しかし、ほとんどのスーパーなどでは、先行して有料化に乗り出せば、無料の店に客が流れる懸念があるため、有料化に踏み切れない状況だ。
自治体では、東京都杉並区が02年、レジ袋1枚につき5円の税金を課す「レジ袋税(すぎなみ環境目的税)条例」を制定したが、施行されていない。
全国の主要スーパー約100社でつくる「日本チェーンストア協会」は、無料配布を続ける店舗がでることを警戒。5月、法制化を促すよう求める要望書を中央環境審議会に提出し、業界全体で一律に有料化を実施できる方法を要望している。
買い物のときにレジ袋不要の意思表示をすると、店員さんが「ポイント・カードはお持ちですか?」と聞いてくる。このあいだの事、いつものように「いいえ、持っていません」と答えると「それだと、意味がありませんよ」と言われた。「見くびるでないワ。こちとらポイント欲しさに家からレジ袋を持参しているわけではない。私を衝き動かしているのは、崇高なる──「エコ魂」だ!」と心の中で独りごちたり。件の店員さんにはそういう思考の回路がなかったのだろう。
ちなみに、ポイント・カードについての余談だが、伊集院光がラジオで、ビックカメラでは、ポイント・カードさえあれば、そのお客の購入履歴を参照できるとかいう趣旨の話をしていた。イヤだねぇ。
レジ袋、07年にも有料化 法整備で促進 環境省方針(朝日新聞 2005年06月10日朝刊)
スーパーやコンビニなどで無料配布されているレジ袋が、有料化される見通しとなった。国が有料化のルールをつくり、業界を指導する。年間300億枚が流通しているといわれるレジ袋の使用を控えさせ、増え続けるプラスチックごみの減量化を狙う。金額や仕組みは今後、議論する。環境省は、来年の通常国会に提出する容器包装リサイクル法(容リ法)改正案に盛り込む方針で、早ければ07年春にも実施したい考えだ。
良いことです。私は「マイ・バッグ」こそ使っていませんが、可能な限り、既に家にあるレジ袋をもって買い物に行く質です。近所のスーパーでは、かつてはレジ袋不要の人にはスタンプを押してくれて、台紙いっぱいになると500円の商品券になるシステムが採用されていたが、去年あたりからポイント・カード制になった。入会の際に個人情報を提供させられることを忌避してポイント・カードは作らなかったが、それでもレジ袋不要の主義を通しています。「それでもレジ袋は要らない」(ガリレオ・ガリレイ)。
6月11日(土)
昨日、ある高校で爆弾事件が起きたらしい。
背景にはイジメがあったようだが、学校側は把握していなかったらしい。そりゃそうだろう。校長がその学校の責任者で渉外の役割も果たしているのは解るが、ああいう時に担任が出てこないのはどうしてだろうといつも不満に思う。校長は双六に譬えれば「あがった」人だが、教諭は今後も教員人生あるから護られているのかもしれない。それにしても、顔を隠して音声を変えてでも構わないので、担任教諭が直接説明すべきことがあると思う。
イジメが絡む問題を校長が把握していることなど、まずあり得ない。それでも、結果に対する責任はある。件の校長は「広い意味でのイジメに相当するものはあったかもしれないと、こう申し上げざるをえない」と言うが、「広い意味でのイジメ」という逃げ口上に私は苛立つ。また、「申し上げざるをえない」という言い回しに、積極的にはイジメの事実を認めたくない校長の腐った肝の悪臭が漂う。挙げ句の果てには「冗談めいた言葉であっても、本人にとっては苦痛だったかもしれない」などと当人の主観(あるいは被害妄想とでも言いたいのか)の問題に話を矮小化する。少年が、イジメによる苦痛を溜め込んで増幅させであろう、と推測することはできるし、これを当人の主観の問題、あるいは被害妄想と言えば言えなくはない。しかし、責任者が進んで口にすべき言葉ではない。
実は、私は都市から農村に引っ越した経験があり、私がスカした都会モンに見えたのか、イジメられた経験がある。従って、イジメが絡む事件には心が痛む。山形県で少年がマットの中で逆立ちの姿勢で窒息死させられた事件などはその極みだ。ほかにもイジメを苦にして自殺する例もある。私自身はスカした少年だったので「誰が死ぬか! おまえが死ね」とやり過ごしていた。後年、彼らが自動車で「峠を攻めている」最中に崖から落ちて本当に死んだ時は驚いた(そしてちょっと喜んだ)。
従って、私は、復讐したいという気持ちをもったことも、爆弾をつくった経験も両方ある。しかし、不幸中の幸いだが、その怨念と実践を結び付ける回路は切れていた。
イジメる側にとっては数ある気晴らしのひとつかもしれないが、やられたほうは死ぬまで憶えているし、人生を台なしにされることもある。「昔はヤンチャしてました」程度で済まされたらたまらない。イジメの当事者双方の感受性の愕然たる非対称性が、悲劇の原因だと思う。イジメられたことは、私に限っては今や大した痛手にはなっていないが、当時はそれなりに息苦しい経験だった。従って、自殺に追い込まれた人、爆弾を爆発させた人の気持ちは理解できる。彼らと自分が違ったのは、イジメられている最中にも、極めて少数だが友人がいたことだ。一年生になったところで、ともだち 100 人つくる必要はないし、そんな非現実的な幻想を子供に植え付ける必要もない。せめて、たったひとりでもいいのだ。
「特定の生徒狙った」 山口・光高校の爆発事件(共同通信 2005年6月11日)
私も同種の爆弾を作り爆発させたことがある(2005年4月21日(木)の日記を参照)。しかし、中にクギを入れたり、人に向かって爆発させたことはない。爆弾で遊ぶ時は、殺傷力を高める危険なものを中に入れることは避け、周りに人がいないことを確認するべきだ――冗談ですよ。
山口県光市の県立光高校で授業中の教室に火薬入りの瓶が投げ込まれ爆発した事件で、傷害の現行犯で逮捕された同校3年2組の男子生徒(18)が県警の調べに対し、「1組の特定の生徒を狙った」と話していることが11日分かった。
男子生徒は数人の生徒に無口を冷やかされており、「恨みがあった」と説明。県警は、度重なる冷やかしに特定の数人に対して恨みを強め、うち1人の座席を狙って投げた疑いがあるとみて追及している。
投げ込んだ瓶は透明のジュース瓶とみられ、中には金属物のほか、少なくとも数十本の小さなくぎが詰め込まれていたことも判明。男子生徒は「自分で作った」と話しており、爆発物の製造方法などについても本格的な聴取を始めた。
6月12日(日)
例の高校での爆弾事件に関連して、逮捕された生徒のインターネットの検索履歴を分析するらしい。
インターネットって、そんなに怖い?
携帯のネット履歴分析 高校爆発で山口県警 (共同通信 2005年 6月12日)
事件を起こすとネットの履歴まで調べられるのか。いやだねぇ。報道から知る限りでは、件の高校生が作った程度の爆弾なら、特に専門的な知識が必要だとも思えない。上の記事では「県警は、生徒が主にネットから知識を得て自宅で爆発物を作ったとみている。製造方法を解説した書籍が、自宅の捜索で見つかったことも判明した。」という変な言い方をしているが、後半は事実だが、前半は記事が書かれた時点では山口県警の見込みに過ぎない。確かに件の高校生は「ネットから知識を得て自宅で爆発物を作った」とは思うが、若年層の犯罪とインターネットの影響を短絡させたくて堪らないのだろうか、「待て」の姿勢で涎を垂らす公権力の走狗の姿が透けて見える。「調べなどによると、生徒は学校の休み時間に、携帯電話のサイトを見る姿が頻繁に目撃されていた。」に至っては、愚の骨頂だ。今どきの高校生は大抵そうだろう。県警の記者発表の表現を踏襲しているだけなのかもしれないが、共同通信の見出しと記事も、事実よりも見込みを重視する書き方している以上、ご同類か。
山口県光市の県立光高校で授業中の教室に投げ込まれた火薬入りの瓶が爆発した事件で、県警は12日までに、逮捕した3年の男子生徒(18)の携帯電話を押収、爆発物製造の参考にしたとみられるインターネットの検索履歴の分析を始めた。
県警は、生徒が主にネットから知識を得て自宅で爆発物を作ったとみている。製造方法を解説した書籍が、自宅の捜索で見つかったことも判明した。
殺傷能力の有無を調べるため、生徒が使ったのと同様の瓶と火薬で爆発物を試作、爆発させる実験も行う方針。
調べなどによると、生徒は学校の休み時間に、携帯電話のサイトを見る姿が頻繁に目撃されていた。
6月14日(火)
おめでとう、マイケル。さすが報道、ちゃんと「ジャクソン被告」になっている。
M・ジャクソン被告に無罪 米陪審評決(共同通信2005年6月14日)
別に私はマイケル・ファンではないのだが、「珍な人」として何となく嫌いではない。スーパースターと言えど、永いあいだ陰干しされたような顔になっていて不憫だ。彼が訴えられた時に、ヒット曲のヴィデオ・クリップ集、 Number Ones というDVD が発売されたので、試しに買って見てみたらけっこう面白かった。"BAD" のヴィデオ・クリップは特に素晴らしい。見る価値あり。"Thriller" は世間の評判ほど良くない。"Black or White" は、支離滅裂だが見ていて愉しい。ただ、幼いマコーレー・カルキンとマイケルの共演は少し心配に……いえいえ、無罪です無罪。
【ロサンゼルス13日共同】子どもに対する性的虐待罪などに問われた米人気歌手マイケル・ジャクソン被告(46)に対する裁判で、米カリフォルニア州サンタバーバラ郡地裁の陪審は13日、起訴された10の罪状すべてについて無罪評決を下した。検察側が決定的物証を提示できなかったためとみられる。検察は控訴できず、無罪が確定した。しかし「スリラー」など世界的ヒット曲で知られるスーパースターにとって、子どもとの性的スキャンダルは大きな痛手となった。
起訴状によると、ジャクソン被告は2003年春、当時13歳で被告のファンだった少年をサンタバーバラ郡の自宅兼遊戯施設「ネバーランド」に招き、寝室でワインなど飲酒を強要した上、性的ないたずらなどの行為を繰り返したとされた。