3月16日(水)
今日は、アイルランドの大統領に会ってきた。と言っても、私は300人弱の聴衆を構成するひとつの「点」として居合わせたに過ぎないのだが。東京大学の駒場キャンパスでメアリー・マカリース大統領の講演会が執り行われのだ。
少し早く着いたがとにかく眠い。適当なベンチに寝転んでいたら、小さな穴が無数に打ち抜かれた腰掛け部分の板のアトが手にびっしりとついていてキモチ悪い。水疱瘡のようだ。
開場時間となり会場へ行くと、同時通訳のレシーヴァーが必要な人と不要な人が二列に別れて並んでいたが、「不要列」が短く、「必要列」は長い。念のため「必要列」に並ぶ。大統領の講演開始の一時間前から開場、30分前には全員着席ということで、これはセキュリティ上の理由だそうだが、手持ちぶたさでしょうがない。同様にセキュリティ上の理由で荷物は少なめにせよとのお達しで、荷物は全て駅のコインロッカーに預けてきて読む本もない。大統領が来るまでのあいだ、アイルランドのプロモウション・ヴィデオの様なものが上映されていたが、次第に眠くなり気付いたら座席の肘掛けにもたれて熟睡していた。
汗だくで目醒めると、大統領の講演のドラフトの英文・和訳が載せられたブックレットが配布された。時間になったが、大統領の到着まであと15 分ぐらいかかるとのことで、ブックレットに目を通す。同様に目を通している人が結構いる。日本とアイルランドといえばラフカディオ・ハーン、ということで、ドラフトのなかでも言及されている。ハーンが東大で教えていたときに、学生がハーンの詩の朗読に感涙したというエピソードの紹介の後に、「私の若かったころ生徒たちは先生の名講義より過度な勉強や試験のストレスで涙を流したようですが」と、ジョークまでちゃんとドラフトに書いてある。
会場に SP 風の外国人が登場しなにやら打合わせしている。上着の脇腹が膨らんでいるように見えたので「銃をもっているのか?」と思い、彼が振り返るときや屈み込むときに、必死で上着の中に目を凝らしたが確認できず。それぐらいヒマを持て余していたのだ。
そんなこんなで、大統領到着。濃いピンクのスーツに身を包んだ金髪の女性で、1951年生まれというが、もっと若く見える。講演前の紹介では、アイルランドにおいて政治の実務は総理大臣が行い、大統領は儀式的なことを担当しているのだとか。どうりで、セレモニックな軍服を纏った衛視のような人がお側近くに控えているわけだ。今回のような親善外交は「儀式的な」範疇なのか。
マカリース大統領は北アイルランド出身なのだとか。どこぞの地方自治体では、在日コリアンであるというだけで出世すらできないというのに。
木畑洋一教授が挨拶し、東大とアイルランドとの関係にちなむ事例として元東大総長の矢内原忠雄を挙げていた。ポポロ事件のとき学生を警察に売らなかった、かの矢内原です。早稲田大学が 98 年に江沢民中国国家主席の講演会参加者名簿を警察に提供したようなことが、この講演会では行われないことを祈る。
講演は、ほとんどドラフト通りで別に面白くもなんともなかった。しかし、日本とアイルランドとの関係を概観するには便利な資料だ。例えば、日本はアイルランドにとって、EU 諸国を除いては、アメリカについて第2位(EU を入れると8番目)の貿易相手国だそうだ。例のジョークも全くドラフト通り。聴衆もちゃんとその部分で笑うお行儀の良さ。キミたち、さっきドラフト読んでたじゃん。なんとキモチワルイことか。滞りなく講演が終り、続いて質疑応答。学生らしき青年の「私は2歳から6歳までアイルランドに住んでいたが、アイルランドの自然や煉瓦造りの建物が非常に美しかった。自然や景観の保護のためにアイルランド政府はどのような政策を執っているのか」という趣旨の質問に、開口一番「2歳から6歳の時のことなんて、よく憶えているわね」と大統領。さっきのつまらない講演とのコントラストに嬉しい驚き。マカリース女史が、法律の実務家・研究者の経歴があるのは予め知っていたが、それ以外にもテレビ・ラジオのキャスターを務めていたこともあったとか。よって、アドリブが利くのです。女子学生の移民問題についての真面目な質問に真面目に答えた後、カトリック信者という初老の男性の宗教についての質問には「宗教は、アイリッシュにはうってつけの質問よね」と応答。
質疑応答は3人で打切り。講演の中で、アイルランドは22年に共和国とし独立を果たしてから自給自足的な独自路線を採ってきたが、60年代以降路線変更し、今や「ケルトの虎」と呼ばれる程の経済成長をはたしてきたことが紹介されていた。私も、近年とりわけ IT 関連のビジネスがブリテン島からも資本や労働者を引き付けるようになったことを、しばらく前の報道によって知っていた。マカリース大統領は、こうした経済的成功の立役者なのだとか。しかし、ヨーロッパ世界経済の周辺あるいは半周辺の位置にあるアイルランドの労働力が比較的安価で、それが経済のグローバル化において皮肉なアドヴァンティッジとして機能しているだけではないか。日本と中国の関係に似ているかもしれない。中国バブルの崩壊なんてことも巷間噂されている。アイルランドの成功は継続可能なものとは限らない。これに対してアイルランド政府はどのようにコミットするつもりなのだろう。アイルランド政府のグローバリゼイションに対する立場を知りたい。こんなことを質問しようとしていたら、時間切れ。だって、前もって質問を考えてきていたわけじゃないんだもの。もっと元気よく手を挙げればよかった。
気付いたら同時通訳のレシーヴァーを使うのを忘れ、ずっと手に持ったままだった。RP は日本語を第一言語にする人には聴きやすいので向いていると思うのだが。大統領のキャスター経験も英語の聴きやすさの一因か。RP について、アメリカからの帰国子女の私の友人は、かつて「ドイツ語みたいで何て言っているか判りにくい」と言っていたものだ。そんなものか。"and" を「いえゃ〜んどぅ」、"character"「きえゃるぁくとぅr」と発音するほうがよっぽどキモチワルい、と私は思う。
3月18日(金)
どうやら、ジオシティーズがドメイン・ネームを geocities.co.jp から geocities.jp へと切り替えている模様。私の検索コーナーの登録サイトのなかには、ジオシティーズを利用している方たちが少なからずいらっしゃるので、少しづつ更新しなければならない。地名と番地で表現される URL という、ネット上の仮想都市のコンセプトは結構オモシロいと思っていたのに……。単にドメイン・ネームだけが変わるだけではないようで、非常に困る。@nifty は SSI が使えないし、そもそも私のサイトは1ページ1ページ人力で作成されているからなおさらだ。私のサイトのこの面倒な更新はいつ終るのやら──というより、いつ始めるんだ。
そういえば、ジオシティーズ利用サイトのなかに「読書中毒者絵日記(どくどく)」がある。しばらく前のことだが、私のサイトを見つけて下さってリンクして頂いていることを偶然発見した。嬉しい。私のサイトが
ホームズ検索サイトとあるが、実は個人のブックマークが進化しただけのリンクサイトで、検索はできないもよう。
と説明されていたので、イタいところを衝かれたなぁと苦笑いしつつ、リンクして頂いて嬉しかったので、「どくどく」さんのトップ・ページにあるフォームから短いお礼を送った。ついさっき想い出して、もう一度サイトを拝見したときには、
ホームズ検索サイトというかリンクサイト。オンライン読書会(もちろんホームズ物語の)も開催されてます。
と、微妙に文章が変わっていた(精神は曲げていない)。別にプレッシャーをかけたつもりはなかったが、お気づかい頂いたようで申し訳ない気がした。気にしてませんよ。今後ともよろしくお願いします。この日記をご覧の皆さんも一度ご訪問ください。ホームズのコーナーもあります。
3月19日(土)
今日の朝刊(東京版)の一面は、なかなか気になる記事が出ていた。
『日本経済新聞』は、最近流行りのスキミングなどによる偽造キャッシュ・カード被害に関して、銀行に責任を負わせるという決定について「偽造カード被害「銀行補償」を原則に 全銀協方針 立証責任を明記 過去の被害にも適用」という見出し。柳田邦男『キャッシュカードがあぶない』(文芸春秋、2004年)を読むと、日本の銀行がいかに無責任か、イギリスの銀行がいかにちゃんとしているかが判る。イギリスでは、銀行に電話一本入れるだけで、被害者の立場に立って問題が処理され、詐欺と確定されれば短期間で口座に詐取された預金が戻されるとか。日本の場合は「銀行に来い」だの「書類を書け」だの「警察に被害届けを出せ」だの「別の部署に行け」だの木で鼻を括ったような対応だとか。2行の口座から100回以上に渡って預金を引き出される被害にあった柳田の友人と東京三菱銀行の行員のやり取り(記憶に基づく再現だとは思うが)は、もはや呆れて笑えないコントだ。
『産経新聞』は、改憲の話で「衆院憲法調査会「九条一項維持」「女性天皇容認」多数意見 憲法裁新設も大勢 集団的自衛権は難航」という見出し。記事の内容は憲法調査会の最終報告の見通しの紹介に終始し、『産経新聞』の意見は書かれていない。妙に落ち着いていて『産経新聞』らしくない。
集団的自衛権の問題は、
最後に、何をおいても最も衝撃的だった新聞は『デイリースポーツ』。一面の金本の顔がコワいのナンノ。パンチ・パーマあててるのか? まるでヤ○さんだ。
「どういうこと、これ。何があったの!」
銀行は、責任が自分に降り掛かるのを何がなんでも逃れたいらしい。顧客が預金して初めて運用ができることを、銀行は忘れているのか。まぁ、今回は、銀行が責任を負うことが決まっただけで、銀行に呼び出され、書類を書かされ、警察に被害届けを提出させられ、別の部署に行かされるのは変わらないだろう。
「さあ、私どもでは。ともかく警察へ行って」
「通帳もカードもあるんだよ。なぜなの?」
「わかりません、警察に行っていただければ、……捜査には協力いたします」
「キミ、何があったのか、想像つくだろ」
「わかりません、ともかく……」 (p. 16)
総論では、憲法改正が必要かどうかについて検討。「現行憲法と国際情勢、社会環境の現実が乖離(かいり)していることを直視すべきだ」との意見が多数を占めた。ただ、「憲法改正といっても、どんな改正をするかで全く異なる」(枝野幸男・同調査会長代理=民主党憲法調査会長)との異論に配慮、報告書には「憲法改正が必要」とあえて明記しない公算が大きい。
国際情勢や社会環境の現実の乖離に合わせて改憲とは本末転倒だが、「異論」を唱えているとされる枝野も、この記事を読む限り、改憲を否定していない。
現在の政府解釈で「憲法上、行使不可」とされる集団的自衛権は、「認められない」(太田昭宏公明党憲法調査会座長)との反対意見は公明、共産、社民三党の「少数」にとどまっている。しかし、容認論も「行使を認めた上で、安全保障基本法で行使の条件、範囲、態様を定める」「行使を抑制的にするため、制限を憲法に明記すべきだ」との二つの意見に分かれ、いずれも多数を形成するに至っていない。
私の立場は単純明快。日本国は主権国家であるわけだから、他の主権国家同様に、集団的自衛権も固有のものとして当然もっている。しかし、重要なのは、戦後日本は、日本国憲法で集団的自衛権を行使しないと誓っているということだ。そして、私はこの誓いを支持している。しかし現在、日本には政権を取れそうな護憲政党はない。集団的自衛権問題について、山本一太参議院議員はかつてテレビで、私の記憶違いでなければ、国連憲章を根拠に日本が集団的自衛権を行使することを正当化していた気がするが、全くのナンセンスだ。彼はおそらく国連憲章第7章、第 51 条のことを言っているのではないかと思われる。
The Charter of the United Nations
読めば解るはずだが、 国連憲章は、特定の国に個別的・集団的自衛権を与えたり、それらの行使を許可したりする類のものでは断じてない。私の能力では英語以外はフランス語ぐらいしか確認できないが、他の国連公用語でも同じ内容のはずだ。条文に基づいて言えば、国連憲章は、日本の個別的・集団的自衛権を impair しない(害しない)、ということだ。これらの権利を行使するかどうかは、個々の主権国家の選択の問題で、国連憲章は、この選択の自由を害しないと言っている。確か、山本議員はかつて国連職員だったはずだが、国連憲章を読んでいないのか? 国連に最も通暁している議員が、解った上であのような議論を展開しているのなら、かなり悪質だ。
Article 51
Nothing in the present Charter shall impair the inherent right of individual or collective self-defence if an armed attack occurs against a Member of the United Nations, until the Security Council has taken measures necessary to maintain international peace and security. Measures taken by Members in the exercise of this right of self-defence shall be immediately reported to the Security Council and shall not in any way affect the authority and responsibility of the Security Council under the present Charter to take at any time such action as it deems necessary in order to maintain or restore international peace and security.
3月20日(日)
連休を利用して部屋を掃除しようと試みるが、またもや頓挫した。
荷物の大部分を占める本は、しまうところがなく床に積んであり、神田の古本屋状態だ。これは、新しく書棚を買うしか解決策がない。そんなこんなでやる気を削がれ、本の整理ついでに、暫く読んでいなかった本をペラペラめくる。そんななかで、久々に読み返してオモシロかったのは、江戸川啓視/クォン・カヤ『プルンギル──青の道』1〜5(新潮社、2002〜2003年)と、つげ義春『ゲンセンカン主人』<つげ義春作品集>(双葉社、1984年)、どっちも漫画だ。ペラペラめくるには丁度よい。
『プルンギル──青の道』は、日韓両国で起こる猟奇殺人事件をきっかけに、日韓それぞれの刑事がかつて日韓をまたにかけ企図された朴正煕大統領暗殺計画の背後にある深い闇に足を踏み入れていく……、という話。日韓合作・日韓両国で連載された漫画で、日本では『週刊コミックバンチ』(新潮社)というパっとしない漫画誌で連載していたが、同誌の連載陣のなかでは異彩を放つ面白さだったと私は思う(他がショボ過ぎるという話も。『週刊コミックバンチ』は一応、青年誌を自負しているが、私の印象では残念ながら大人の鑑賞に堪える作品はひとつも連載されおらず、「買って読みたい」という動機づけを起こさせない)。しかし、『プルンギル──青の道』は、いまひとつ評価もされず、話題にもならず、売れもしなかった。噂によると、原作担当の「江戸川啓視」なる人物は、作品によってペン・ネイムを使い分けており、現在『ビッグコミックオリジナル』で連載中の『イリヤッド』の原作者、東周斎雅楽にして、浦沢直樹氏の担当編集者、長崎尚志と同一人物らしい。ちなみに『MASTERキートン』の原作者の勝鹿北星も同一人物かと思っていたが、2004年12月9日にお亡くなりになられた別人(=きむらはじめ、ラディック・鯨井、本名は菅伸吉)だとか。噂の真偽については、確認していない/できないので責任はもてません。
つげ義春については、熱心なファンが大勢いるので、ヘタなことを言うと面倒なことになりかねないので、ここで論じることはしない。ただ、私が読んだ限られたつげ義春作品のなかで最も気に入っているのは、「やなぎ屋主人」だ。主人公が、ヌードスタジオで耳にした「網走番外地」に衝き動かされて、房総行きの列車で N 浦に赴き、そこで宿をとった食堂「やなぎ屋」で……、という話。私は、主人公のように「なにか不吉な重い流れのようなものがぼくの心を駄目な方駄目な方へとおし流すようで/いたたまれなくなっていたのだ/いっそ駄目になってしまえたら……/どれほど気がらくかしれないと思っていた」などと思い詰めることはない。ただ、時どき、電車に乗って適当な駅(一度も訪れたことがないほうがよい)で降り、初めて訪れる商店街を歩くのが好きだ。時間も重要で、黄昏時がよい。徐々に暗くなる商店街の店先には照明がやけに明るく灯り眩暈がするほどだ。夕餉の買い物で賑わう地元の商店街は、ローカルなコミュニケイションの濃密さで溢れているが、私を知る人は一人もいない。その濃密さは、私のような他所者の闖入などで希釈されることはない。この雰囲気が、まるで魔境に入ったかのような錯覚を誘い、なんともイイ。私は、これを「つげ義春ごっこ」と称して愉しんでいる。これは純粋に愉しみのための愉しみだ。
この機会にネットを検索して見つけたある日記で、「やなぎ屋主人」を追体験している人がいた。同日記によると:
日記上の目的地は大原だが、「東京湾をへだてた対岸には観音崎の灯台や羽田飛行場の灯りがチラチラ見えた」という記述と「N 浦」という地名から、作品の舞台はおそらく「長浦」だろう。Yahoo! Japan の地図検索で調べて見たら、JR 内房線長浦駅前にはダイエーが店を構え、同駅はアクアラインの千葉側の上陸ポイントの近くで、逃避先としては今や難がある。作品の世界の趣は既にないものと考えて間違いないだろう。
「ここではないどこかにフェイドアウトする」というコンセプトのもと、「やなぎ屋主人」に生まれ変わったつもりで漫画に沿って(1)「小汚い旅館に泊まる」(2)「『こうして飲めない酒を飲むのも……』とか言いながら酒をなるべく呑む」(3)「ハマグリを食う」(4)「ネコとたわむれる」(5)「ネコの肉球をまぶたにピトッと当てる」という行動目標をマイ脳髄の中で(勝手に)組み立てて出発した。
作品に対する日記の書き手のポジションニングと、箇条書きした「行動目標」に沿って現実逃避するという企画性に微妙なおかしみがあってナカナカ愉しめた。
○nikki6
http://www.juno.dti.ne.jp/~aimako/nikki6.htm
3月21日(月)
頓挫した部屋の掃除をやり直そうと決起。連休最終日に賭ける。
TBS で『スルメイカの旅』という番組をやっていた。休日にありがちな紀行特番だろう。スルメイカを追って長崎から函館まで山本太郎が旅する過程で、スルメイカとスルメイカに関わる人びとの生活と歴史を描いたドキュメントもの。面白そうだったので見ながら掃除。結局、新しく書棚を買うしか解決策がないことを再確認した。掃除前後の違いといえば、床に積み上げられた本が若干整頓された程度だ。それにしても、山本太郎は、今やスッカリ気のいい俳優だ。海パン一丁で「キュー」とか言って踊っていた昔の面影はほとんどない。
午後は区民図書館へ寄って……と思ったら月曜休館だった。その後に宛もなく出かけたが、気付いたら神保町に来ていた。余暇の過ごし方のヴァリエイションが極端に貧困だ。小宮山書店で、色川大吉『明治精神史』上下<講談社学術文庫>(講談社、1976年)と谷川徹三『世界連邦の構想』<講談社学術文庫>(講談社、1977年)を入手した。色川大吉『明治精神史』は、以前手にいれた色川大吉[編]『民衆憲法の創造』(評論社、1970年)の姉妹本と言えるだろう。今回の本が「姉」。『世界連邦の構想』 の谷川徹三は、詩人の谷川俊太郎の父上、哲学者で法政大学総長も務めた。この本は、日本バートランド・ラッセル協会の会長も務めていた彼の世界平和論の書。未読なのでまだ何とも言えないが、目次から判断すると、カントの恒久平和論に依拠した世界連邦政府構想のようだ。「世界連邦政府」の現実味はハッキリ言って薄いと私は思うが、当時はリアリティがあったのだろうか? 日本人による平和論としておさえておいてもよいだろう。いずれも出版社品切れだが、それ程プレミアは付いていなかった。人気ないのかな?
神保町から九段下のほうへ足を伸ばし、千代田区民図書館へ……と思ったら、やっぱりココも月曜休館だった。月曜休館はいいとして、公共の図書館は祝祭日は開けてもらいたい。仕方がないので辺りをウロウロしていると、九段会館の横の昭和館で「戦中・戦後のマンガと子どもたち」という特別企画展が開催されていた(4月10日(日)まで)。はっきりいって、周りの景観を完全に無視した悪趣味なタワー型の建物も、「昭和館」というプロジェクトそのものを嫌いだが、入場無料ということでちょっと覗いてみる。
入り口から奥へ進むと「懐かしのニュースシアター」と称して、昔のニュース映画を上映していた。毎週土曜日に上映作品が入れ替えられるとか。ラインナップは次のとおりで、それぞれ10分づつぐらいの長さ:
(2)讀賣国際ニュース197号(昭和27年12月)
(3)朝日ニュース541号(昭和30年12月)
(4)朝日ニュース594号(昭和31年12月)
家に着くと、NHK FM で若い男性アナウンサーと泉麻人と女性のCM プランナーで、「懐かしのコマーシャル・ソング」みたいな番組をやっていた。また昭和だ。番組は割とオモシロかったが、なぜ NHK で CM ソングの番組をやることになったのだろう?
(1)讀賣ニュース33号(昭和12年12月)
3階で開催されていた「戦中・戦後のマンガと子どもたち」は、ソコソコ。『チンポモドコ』という雑誌が展示されていたので「破廉恥な」と思ったら『コドモポンチ』が右から左に向かって書かれていた。出版物の展示以外には、『のらくろ二等兵』(1935年)と「アトム誕生」(1963年、おそらく国産テレビ・アニメ第1号『鉄腕アトム』の第一話だろう)が上映されていた。この特別企画展から、漫画や児童雑誌を媒介にして「小国民」として子供も大政翼賛体制に動員されていく様子が見て取れて、せつない。大政翼賛会のポスターにフクちゃんが使われていた。 昭和館で一番よかったのは、館内の自動販売機のジュースが100円だったことか。4階以上は有料なので見ずに帰る。
戦争真っ只中のニュースで「支那事変」などが取り上げられていた。小学生の頃に祖父に戦中の話を聞いたときに「日中戦争」について尋ねてもなかなか通じず、色いろ説明した後で「あぁ、支那事変のこッば言いよっとか?」と言われたことを想い出した。天皇によって統べられる大日本帝国内の安寧秩序を攪乱転覆する動きという認識が「支那事変」という言葉で切り取られている。
印象に残ったのは 「格子なき牢獄」というニュースで、テキサス州で囚人が農場労働に従事している様子が紹介され、理想的な牢獄と説明されていた。
民主党代表として岸信介が登場したり、第1回原水爆禁止世界大会や砂川闘争の様子が伝えられたりしていた。この年に社会党が統一され、これを受けて自由党と民主党が自由民主党に統合されたことが報じられていた。
自民党が「憲法改正の歌」なるものを作り議員たちが合唱、若き日の中曽根康弘も歌っていた。まだスダレ・ヘアーじゃない。社会党が衆院選で躍進し3分の1の議席を獲得、改憲は頓挫。鳩山一郎内閣が総辞職し、石橋湛山内閣が成立するも、派閥争いで組閣が難航したとか。寄合所帯は今も昔も大変だ。日本がようやく国連加盟。オリンピックの話題で「フルカワ選手」が「潜水泳法」で大活躍したらしい。飛び込みのとき、どの選手も腕をグルグル回していた。遠心力を利用して遠くまで飛ぼうとしているのだろうか? 当時はこれが合理的と看做されていたのだろう。
3月22日(火)
工作好きな私(もちろん図画工作の「工作」です)としては、気持ちは解らなくもないが、やったらオシマイ:
車荒らしに偽札盗まれ発覚 偽造の小学教諭逮捕 (共同通信 2005年3月21日)
同じ教師つながりだが、志の異なる教師の記事:
愛媛県警松山東署は21日までに、旧5千円札10数枚を偽造したとして通貨偽造容疑で松山市余戸南、松前町立松前小学校教諭西口亮蔵容疑者(32)を逮捕、この偽札を使ったとして偽造通貨行使の疑いで同市春日町、自称建設業沖出勝美容疑者(60)を逮捕した。
沖出容疑者は6日に逮捕されたが、3日夜に西口容疑者の自宅前で乗用車の窓ガラスを割り、助手席のダッシュボードに置いてあった財布から偽札を抜き取り、使ったと供述。西口容疑者の偽造が発覚した。
西口容疑者は「盗まれたとは気付かなかった」と話しており、結果的に車荒らしで通貨偽造事件が発覚した。
調べでは、西口容疑者は2月中旬、自宅で旧5千円札10数枚を偽造した疑い。沖出容疑者は3月4日、松山市内のコンビニ2店舗でたばこ2箱(計660円)を購入する際、盗んだ偽札計2枚を使った疑い。
愛媛の現職教諭らも提訴 つくる会教科書採択は違法 (共同通信 2005年3月22日)
なぜ愛媛県で「つくる会」の教科書かというと、今の愛媛県知事の加戸守行は、森喜朗が文部大臣だったころの部下(当時・文部省官房長)で、1989年の「リクルート事件」でもらったのもらわないので結局辞職してうやむやになって、気付いたら愛媛県知事になっていた人。政治的には森派に近い/と同じ信条をもつ人物なのです。「つくる会」の教科書が検定を通過した時の首相は森喜朗。
愛媛県教育委員会が「新しい歴史教科書をつくる会」主導の中学歴史教科書(扶桑社発行)を採択したのは、県知事の不当な介入によるもので違法として、現職の県立学校教諭ら2人が22日までに、採択取り消しと加戸守行知事らに計32万円の損害賠償を求めて松山地裁に提訴した。
訴状によると、県教委は2001年8月、県立ろう学校などでの同社教科書の採用を決めた。この決定は、加戸知事が県幹部が出席した会合などで「扶桑社版の教科書がベスト」と感想を述べた影響を受けたもので、教育への不当な介入を禁じた教育基本法10条に違反するとしている。
県教育総務課は「採択に違法性はない。裁判の中で言い分を主張していきたい」と話している。
3月24日(木)
ライブドアがニッポン放送を「支配」した場合 、中島みゆき、タモリをはじめ、江本孟紀、倉本聰、市川森一などが番組を降板する意向だとか。 ライブトア傘下に入ることの不利益を主張するニッポン放送側の根拠となる東京高裁の審尋のための提出書類などから判ったらしい。タモリはそういうことを言わない人かと思っていたので、正直言ってガッカリ。
でも、ラジオについての明るい話題もある。なんと、ひさしぶりのラジオ専門誌が登場した。その名は『ラジオ DE パンチ』(白夜書房)。タイトルのセンスについては……まぁ、とりあえずおくとして、ラジオ専門誌の登場は非常に嬉しい。かつて深夜放送が全盛の頃は、『深夜放送ファン』『ラジオパラダイス』『FM STATION』などのラジオ専門誌が存在したが、現在は、全国のAM・FM・短波放送の番組表を一冊にまとめた『ラジオ番組表』(三才ブックス)が半年に一度出るだけだった。読むところもあるにはあるが、やはり「番組表」だ。よって、『ラジオ DE パンチ』の登場は大歓迎だ。月刊『笑芸人』vol.14 (白夜書房、2004年)のラジオ特集号「笑うラジオ マイクの達人たち」の手応えから、『ラジオ DE パンチ』が生まれたらしい。
ラジオ専門誌とはいえ、『ラジオ DE パンチ』創刊号の半分はデータ・ベース的な記事で、対象年令は高めで、30代から40代ぐらいの、深夜放送が華やかなりし頃のラジオ・ファンをあてにしている感じ。伊集院光のインタヴューが、なんとか若い世代のフックとなるぐらいか。ちなみに表紙はテリー伊藤と伊集院光。もうひとつ気になるのは、バーコードが2つついている、すなわち、本当の意味では「雑誌」でなく「書籍」扱い。「次号は夏季〜秋期の発売予定です」という告知も不安。2000円は高い。ただ、特筆すべきは、「ラジオ音源コレクション」と題する CD がついており、過去・現在の名物番組が収録されている。これはヨイ。ただ、AM ラジオの放送を CD の音質で聴くと、なんかキモチワルい。
記事の中に「ラジオ資料館」と題して、ラジオから生まれた本・レコード・CD などが写真付きで紹介されているが、その中にカメとアンコー『水虫の唄』(CBSソニー、1968)というレコードが載っている。ジャケットが結構カッコイイ。カメとアンコーの「カメ」は、今なにかと話題の亀渕昭信ニッポン放送社長、「アンコー」は、現在ニッポン放送の深夜に「オールナイトニッポン・エバーグリーン」で復活した斉藤安弘。2人とも、「オールナイトニッポン」最初期の人気 DJ だったそうだ。同時期の人気 DJ 故糸居五郎の最後の弟子、渡辺實が TBS ラジオで「ロック魂」という番組をやっていたが、当時の深夜放送の雰囲気はこんな感じだったのだろうな。ちなみに、渡辺氏も、いまや故人。
そのうちまたラジオの話も書こうかな。
3月25日(金)
手鏡は、どうしても没収しなければならないのだろうか?
植草元教授に罰金50万円=「人格無視し卑劣」−手鏡のぞき・東京地裁(時事通信 2005年3月23日)
のぞき目的で女子高生のスカートの下に手鏡を差し出したとして、都迷惑防止条例違反の罪に問われた元早稲田大大学院教授植草一秀被告(44)の判決公判が23日、東京地裁で開かれ、大熊一之裁判長は「被害者の人格を無視した卑劣な犯行」として、罰金50万円(求刑懲役4月)の有罪判決を言い渡した。手鏡一枚の没収も命じた。
同裁判長は「ゆがんだ性欲を満足させるために計画し、被害者の背後に立っており、偶発的とは言い難い」と指摘。「教授の立場にあり、社会への影響も見過ごせない」と指弾した。
植草被告側は「のぞきはしていない」と無罪を主張したが、同裁判長は現行犯逮捕した警察官の証言の信用性を認め「被告は弁解に終始し、反省もない」と非難した。
3月28日(月)
某ラジオ番組で、「ニッポン放送だけを支配しても価値がない」と囁かれている堀江貴文ライブドア社長に対して、長野県知事・作家の田中康夫が、堀江がニッポン放送を資源として活かす方法として、次のようなことを言っていた。ニッポン放送はすべての記者クラブに入れる。ロイターやブルームバーグのように、すべての記者会見の内容をノーカットで、ネットも使ってリアルタイムで流すことで、片言隻句のメディアとしてのテレビや新聞の恣意性の瑕疵を補い、話をじっくり聴かせる起承転結のメディアとしてのラジオの利点を活かし、国民を覚醒させることができる、とのこと。心踊る話だ。田中康夫は、キショクワルい人だが、ときどきイイことを言う。どうせもう嫌われてるんだから、やっちゃいなよ、堀江。
ただ、ロイターの日本語版サイトには問題がある。以前に軍縮および NPT について調べている過程で、ロイターのサイトで、2004年2月12日のモハメッド・エルバラダイ事務局長の発言について報じているのを読んだとき、英語版では、エルバラダイの声明の全体について、ジョージ・W・ブッシュ演説(2004年2月11日の National Defense University における核不拡散の枠組についての演説)を支持するとともに牽制するところまで漏れなく報じているのに対して、日本語版では、同記事の最初の部分だけを抄訳し、エルバラダイがブッシュ演説を支持したところまでしか報じていない。恣意性はないのかもしれないが、編集次第で記事から受ける印象が全く違ってくる。最初に日本語版を読んで「これはオカシイ」と驚いて、英語版の記事を確認して判った。
○英語版:World may be headed for nuke destruction - ElBaradai
話を戻すと、私個人としては、ニッポン放送のコンテンツは最近、弱くなってきているなぁと感じる。聴くことのできる時間が限られているので平日の昼間は判らないが、夜から深夜にかけての番組(いわゆる「ヤングタイム」と呼ばれる時間帯)は、テレビの人気者を集めて来たような編成で、ラジオのスターを産み出そうという姿勢があまり感じられない。スターの、テレビとのギャップの面白さを聴かせるのも、ラジオ番組の醍醐味だが、トークの面白さを追求するプロの喋り手を育てる意識が希薄ではないかと思わせる。日曜日の夕方に番組を持っているタモリや笑福亭鶴瓶だって、ラジオから出て来たスターじゃないか。ちなみに、このナイター・オフはタモリの番組とピーター・バラカンの番組の時間が重なって非常に困るのです。新たなラジオ・スターの登場を望む。
最初に言及した某ラジオ番組でもうひとつ印象深かったのは、ゲスト出演していた民主党の内川博史衆議院議員の言葉だ。彼は、民主主義は数だというのは思い込みで、民主主義は言葉の闘いだ、と言っていた。彼がどういう人かはよく知らないが、彼のこの発言には希望を感じる。清濁併せ飲む「大人の」政治家が支持される風潮があるような気がするが、こういう青い希望を繋ぐ政治家がいてもいいはずだ。民主主義が言葉の闘いでないならば、議場は必要ない。
http://www.reuters.com/newsArticle.jhtml?type=topNews&storyID=4341232
○日本語版:核拡散阻止しなければ、世界は破壊へ=IAEA事務局長
http://www.reuters.co.jp/news_article.jhtml?type=worldnews&StoryID=4350559
(ただし、古い記事なので、いずれもロイターのサイト上には既に記事はない。)