The Hound on Internet

トップ守衛所日誌>2005年1月
守衛所日誌
思いついたことを、思いついた日に書く不定期日誌。

2005年1月

1月21日(水)

最近、「シャーロック・ホームズを読む」準備掲示板に、何度か日記風の書き込みをしてしまい、どうせなら日記でもつけようかと思い立ち、こうして日記のコーナーを設けることとなった。とりあえず、掲示板には次のようなことを書いた。いずれは新しい書き込みに押し出されて消えてしまうことになり、もったいないので、以下に引用しておく。

1月13日(木)
ところで、終わらない大掃除をしていたら、かなり以前に録画したと思われるグラナダ版ホームズのビデオが出てきました。わが家は NHK の映りが悪いので、画像は驚くほど汚い。時代劇や刑事モノが、フィルムでなく VTR で撮影されるようになって以来ヤケに安っぽく見えるようになったことに抵抗を感じている私としては、画像の粗いビデオを眺めつつ「これぞ一世紀前の味わい」などと自分を欺いてみるのです。それにしても、ブレット=露口ホームズは味わい深い。などと最後に少し日記風なことを書いて、このへんで今度こそ失礼します。

1月18日(火)
この掲示板をご覧の受験生の皆さん:
センター試験はエラいことになっていますね。個人的には、問題文が初見かどうかと、問題が解けるかどうかは別の話のような気もするのですが(受験生の皆さんムッとしないで下さい)、公正さをコントロールできなかった入試センター側の明らかな失態であることは疑いないですね。私の意見など、当事者のリアリティーが今や実感できない人間の軽薄な戯れ言と斬って捨ててください。受験当時は、日毎に掛け金がつり上げられるゲームに臨んでいるような気がして、私もすっかり前のめりになっていましたが、終ってみればこんなものかと拍子抜したほどです。受験生の皆さんの健闘を祈ります。そして合格の暁には、ぜひこの読書会にご参加ください(長い枕でしたが、これが言いたかったのです)。

引用するほどのことでもなかったな。

1月22日(木)

マイケル・ムーアの『ロジャー&ミー』Roger & Me の DVD を観た。キャンペーンか何かで¥1,500 ぐらいで売っていた。

 もとはと言えば、多くの人と同様に『ボウリング・フォー・コロンバイン』Bowling for Columbine ですっかりムーアびいきになってしまい、『華氏911』Fahrenheit 911 もちゃんと劇場で観た。必然的に、第一回監督作品の『ロジャー&ミー』Roger & Me に遡ったと言うわけだ。いまや、私はすっかりムーアの「いいお客さん」だ。オモシロい順に並べると、『ロジャー&ミー』=『ボウリング・フォー・コロンバイン』>『華氏911』だろう。しかし、インパクトの点では、今回観た『ロジャー&ミー』が群を抜いている。

<あらすじ>
 GM の会長(Chairman)のロジャー・スミスが、古い11工場を閉鎖し、メキシコに新しく11工場を建設する経営改善方針を打ち出した。その結果、GM 創業の地でムーアの故郷でもあるフリントの工場も閉鎖され、3万人の従業員がレイ・オフされることになった。これに伴うフリントの凋落をロジャー・スミス会長に知らせようと、ムーアが、いわゆる「アポなし取材」を敢行し、デトロイトの GM 本部、アスレチック・クラブ、株主総会など、会長のいそうなところに押し掛ける。

 その過程で、GM 関係者のセレブのパーティー、立ち退かせ屋のような仕事を担当している保安官代理、フリントのパレードに参加していたミス・ミシガン、ウサギの飼育販売・売血などで糊口を凌ぐフリント市民、という具合にアメリカ社会に内在する対極的な貧富のイメージが交互に映し出され、フリントの現状(あるいは階級社会としてのアメリカ)と暗い未来が強調される。

<見どころ・感想など>
"Rabbits or Bunnies/ Pets or Meat" の看板を掲げ、生活保障とウサギ売りで糧を得る女性には、「ペットで売れなきゃ肉として」などの名調子を屈託なく連発したり、生きているウサギをつぶすところをカメラの前で実演してみせるなど(けっこう引きます)、コントのキャラクターのような笑えないオモシロさがある。また、売血センター(ドアに "FLINT PLAZMA CO." とあるが民間企業だろうか?)の前で青年が、祭日は割増しで血を買い取ってもらえるなどのくらしのマメ知識を披露してくれる。都市の荒廃に伴う犯罪の増加と銃で自衛する市民という、のちの『ボウリング・フォー・コロンバイン』につながるモチーフも登場する。映画の締めくりで、ロジャー・スミス会長が朗読するディケンズの一節を BGM に映し出されるフリントのクリスマス・イヴの悲喜交々は、切ない中にも皮肉な笑いを誘う。

 ムーアに対する評価は、真っ二つに別れるかもしれない。某ラジオ番組にゲスト出演した国際政治学者の藤原帰一は、ムーアを「ブッシュ大統領にふさわしい相手」と酷評していた。確かに、ムーアはお上品な映画監督ではない。また確かに、ムーア作品の捏造/演出については度たび云々され、それを指摘し論証する批判本・サイトの類いも多数存在する。

 ムーアの「偏向」に疑義を突き付ける人びとは、ニュースやドキュメンタリーは「公平中立」でなくてはならず、事実だけを伝えるべきだ、という幻想に取り憑かれているのかもしれない。そういえば、映画の中でフリントのパレードに参加していたミス・ミシガンも「二週間後のミス・アメリカ大会に出るので、ここでは中立の立場でいたい」と言っていた。ここ最近は、安倍晋三も中川昭一も「公平中立」をご所望だ。

 しかし、私にとっては、批判の的になっている他ならぬ彼の「偏向」こそがオモシロい、そこがオイシい。「珍味」とはそういうものだ。鉄道にのめり込み、貴重な週末をカメラ片手に車両の撮影に費やす、ホームで見掛けたあの人、子供の頃から『ガンダム』に魂を抜かれ、頼んでもいないのにお勧め作品を教えてくれる高校時代の友人――いずれも皆、愛すべき魅力的な珍人・偏向人だ。私のパースペクティヴから認識される世界では死角になっている場所にある、豊穣なる細部が広がる深淵を垣間見せてくれるからだ。

 そういう意味で少なくとも私にとっては「公平中立」な番組・作品を求めることは、ワタを抜いた秋刀魚の塩焼きを有難がるのと同じだ。こちとら子供じゃない。「偏向」してると解って見るぐらいの知恵は身につけているつもりだ。ムーアの作品をドキュメンタリー映画のかたちをとった諷刺だと考えれば、「公平中立」の呪縛は解けるのではないか。あるいは「ドキュコメディ」とかいう言い方を採ってもいいだろう。これを言葉の綾だ、屁理屈だと言う人のために、次のように別のアプローチを取ってみることもできる。ムーアのドキュメンタリー作品には必ずムーア自身が登場し、ナレーターもムーア自身がつとめる。つまり、聴衆は、ムーアが取材対象に接する様子をムーアの言葉によって第三者として見聴きする――こうしたムーア作品の語りの構造そのものが、ムーアの作品を「公平中立」であると勘違いする余地などないことを明示しているではないか。

 いちクリエーターの「偏向」よりも、むしろ権力が「公平中立」の美名の下に正義を封殺することのほうが問題だ。正義が行われることを望む偏向には、情状酌量の余地がある。私は、ものを言わせぬ「公平中立」よりも偏った正義を求めたい。

 だいぶ話が堅くなったので、最後に映画からやわらかいエピソードをひとつご紹介。冒頭で、フリントとサン・フランシスコとの違いを説明するエピソードとして、「レストランも、ほとんどがデザートを食べる店みたいで、コーヒー一杯飲むのも僕にとっては悪夢だ」というムーアのコメントのあと、ウェイトレスが「エスプレッソ、ダブル・エスプレッソ、カプチーノ、ダブル・カプチーノ、ラテ、ダブル・ラテ、カフェ・コン・パンナ、マキアート、ダブル・マキアート、カフェ・ビアンコ、ハウス・ブレンド」とメニューを羅列するシーンがある。いまだに「スター・バックス」の敷居を高く感じる私のような田舎者としてはこの気持ちはよく解る。オレは「喫茶室ルノアール」でいいや。

Roger & Me
Bowling for Columbine
Fahrenheit 911
Box
『ロジャー&ミー』
Roger & Me
『ボウリング・フォー・コロンバイン』
Bowling for Columbine
『華氏911』
Fahrenheit 911
『ボウリング・フォー・コロンバイン
マイケル・ムーア アポなしBOX』

Amazon.co.jp「本+CD Amazonギフト券還元プログラム」
■Amazonギフト券還元キャンペーンへのリンク

1月23日(日)

ロダンの『考える人』は、いったい何を考えているのだろう……全裸で。


1月24日(月)

今日、井筒和幸監督作品『パッチギ!』を観た。帰宅途中に池袋で途中下車して、劇場へ。他に時間がなかったのと、他の時間帯よりもチケット代が割安だったのでレイト・ショーで観た。時間がおそかったせいもあってか、200 席ぐらいの劇場に客は 30人ぐらいだった。コリアンっぽい人たちもいた。

 結論を先取りすると、一月下旬にして私の今年 No.1 映画になりそうな感じがする。是非ご覧になることをお勧めします。ベタな映画といえばそれまでだし、『ガキ帝国』(ATG、1981年)を観た人にとっては、展開が読めるところもある。それに、私はヤンキーもケンカも嫌いだ。それでも、久びさに映画らしい映画を観たという印象が残った。絶対にソンすることはないと思う。

<あらすじ>
京都府立東高校2年生の康介と朝鮮高校2年のキョンジャとのラブ・ストーリーを軸に、日朝間の歴史・日本における在日朝鮮人のおかれた状況などのサブストーリーが、名曲「イムジン河」にのせて輻輳する。

<見どころ・感想など>
『パッチギ!』の若手俳優陣は、『ガキ帝国』(ATG、1981年)の若手俳優陣よりも、俳優の演技が格段に上手い。とはいえ、『ガキ帝国』の俳優の演技は、『ガキ帝国』というタイトルと相まって、不良少年たちの卑小な世界観がもつある種の愛すべき微笑ましさを表現しているとも言え、それはそれで成功しているような気がする(決してケナしているわけではありません、むしろ評価しています)。主役の俳優たちも良かったが、オダギリジョーの怪演は、なかなかイイ味を出していた。ただのイケメン・トレンディー俳優とはひと味もふた味も違う印象を受けた。

 井筒映画のひとつの大きな特徴は、作品の中に在日朝鮮人が度たび描き込まれてきたということだろう。もちろん、映画では古くは浦山桐郎[監督]『キューポラのある街』(日活、1962年)、日本語文学においては、梁石日(ヤン・ソギル)李恢成(イ・フェソン)のような作家が在日コリアンを描いてきたが、最近は、金城一紀『GO』(講談社、2000年)映画化もされた)が注目されるまで、あまり描かれてこなかったのではないか。彼/彼女らは「見えない」(invisible)存在の位置に押し留められてきたと言えるかもしれない。私が知らないだけということは充分あり得るが、私のような人間には届いていない、とは少なくとも言える。

 私にとっては、この映画に描かれているようなかたちでは、在日コリアンの存在がすぐそこにあるというリアリティーを実感したことは無かった。それどころか、私は、田舎から出てくるまで、自分の身の回りに在日コリアンの存在を感じることすらなかった。あるいは、鈍感にも私が気付かなかっただけかもしれないし、無きがごとくに必死で隠蔽されてきたのかもしれない。田舎は、多くの人びとには「時間がゆっくり流れ、郷愁を誘う楽園」として想起されるかもしれない。しかし一方で、田舎がもつ人間関係の親密さの強度は、マージナル化された存在を許容しない雰囲気を醸成し、他者を徹底的に排除する残酷さを帯びているとも言える(これは、幼少時に都市から田舎へ引っ越してきた自分の経験に基づく実感である)。

 都市に暮らすようになると、私は、在日コリアンの知り合いや外国人の友人ができたりすることで、他者の存在を強く意識するようになった。というよりも、他者との共生に基づいて形成される社会のなかで、他者の存在が自分の生活の一部を形成するようになった。

 私のように、田舎から都市への移動を経験している人間には、その移動が、上述の意識の覚醒の契機として明確に(いささか観念的に)意識される。しかし、生まれた時から他者との緊張関係のなかを生きてきた人びとにとっては、私がこの映画を通して初めて認識した世界が、初めからある紛れもない生である。意識するしないにかかわらず、日本の永住外国人の大多数を占める在日コリアンが日本社会の一部を成しているという自明の事実が、これまでの日本語芸術作品の中で積極的に描かれてこなかったことは残念だ。在日コリアンの人びとはこの映画に対してどのような感想を持つのだろう。

 昨今、他者に敵の顔を投影して満足し、その内実を見ようとしない風潮が日増しに強くなり、これに呼応して、他者を知り、自分自身を他者の中に開いてゆく姿勢が、希有なものになりつつあるだけでなく軽視すらされつつある。井筒が某ラジオ番組で使った言葉を借りれば、「日本は、自分たちの物語を語り過ぎ。相手側の物語も解らないと。両方の物語を知り合うなかでね、と思うねん。知らなすぎやわ」(2005年1月12日放送、この回の放送は非常に良かった)。

 このような時代に、このような作品を、堅苦しいものとしてではなく、笑えて泣けて楽しめて考えさせるかたちで世に問うことの意義は大きい。映画人のひとつの大きな使命とは、そういうことではなかっただろうか? パンフレットによると、主人公の実家として登場する寺は、実際は万寿寺という、日本で亡くなった朝鮮人の菩提寺とのことだ。そこの和尚はお祓いの時に「ここには、いろんな思いをして生きてきた在日の人たちが眠ってますけど、そんなホトケさんたちが腹を抱えて笑い転げられるような、そんなオモシロい映画を作ってください」と挨拶したそうだ。

 日本で生まれ日本で育った在日コリアンの知人は、民族名を名乗っているがゆえに日本人から「日本語、お上手ですね」と未だにくり返し褒められる、と苦笑いしていた。朝鮮人も韓国人も日本に住んでいる以上は、家に帰ればモーニング娘。の歌を聴いたり、テレビで月9ドラマを観たりして、隣人として日々の生活を送っていることは、少し考えれば容易に判るはずだ(劇中でも、朝鮮高校で民族教育を受け、主体思想を学んでいるはずのアンソンも、夜は家で『11PM』を見ていた)。残酷な無知と忘却が繰り返されないためにも、『パッチギ!』は見る価値のある作品だと思う。

その他参考作品
松山猛『少年Mのイムジン河』(木楽舎、2002年)(映画『パッチギ!』の原案となった本)
加藤和彦[音楽監督・監修]『パッチギ! サウンドトラック』(Sony Music、2005年)MHCL-483

ガキ帝国
キューポラのある街
GO
GODVD
少年Mのイムジン河
パッチギ! サントラ
『ガキ帝国』
『キューポラのある街』
小説『GO』
DVD『GO』
『少年Mのイムジン河』
『パッチギ!
サウンドトラック』

Amazon.co.jp「本+CD Amazonギフト券還元プログラム」
■Amazonギフト券還元キャンペーンへのリンク

1月25日(火)

気づいたら、サイトを開設して1か月経っていた。


1月28日(木)

『パッチギ!』を観て、共生・対話は重要だと確認した矢先に、こんな判決とは。この判決に対して、私の心は決まっているが、理論的な整理(あるいは武装)がまだ整っていないので、五つの全国紙の社説のリンクだけを貼っておこう。 並べてみると、各紙の立場はオモシロいどのグラデーションを成している。

 ○asahi.com : アサヒ・コム 1月27日  
外国籍管理職――時代が分からぬ最高裁
 ○MSN-Mainichi INTERACTIVE 社説 1月28日  
国籍条項訴訟 住民の意思が門戸を広げる
 ○NIKKEI NET:社説・春秋 1月27日  
外国人任用で最高裁初判断
 ○YOMIURI ON-LINE / 社説・コラム 1月27日  
[管理職試験訴訟]「『日本国籍』明確にした最高裁判決」
 ○Sankei Web 産経朝刊 主張 1月27日  
籍条項訴訟 常識にかなった合憲判決

ついでにもうひとつ、難民認定申請をしていたクルド人親子が強制送還された話。これも、各紙の論調を比較するとオモシロそうだが、時間がないので共同通信のニュースのみをリンク。ついでに本文も。

 ○クルド人親子を強制送還 国連の難民認定者で初[01月18日]共同通信[goo ニュース]  
 日本政府に難民認定を求めたが不認定とされ、東京入国管理局に収容されたトルコの少数民族クルド人のアハメト・カザンキランさん(49)と長男が退去強制処分となり18日午後、トルコに送還された。支援者が記者会見し明らかにした。
 カザンキランさんは国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の難民認定を受けており「認定された人が送還されたのは日本では初めて」(UNHCR駐日地域事務所)という。
 大橋毅弁護士は「退去強制処分の取り消しを求め最高裁で係争中なのに送還するのは不当だ」としている。

 法務省・外務省が、難民条約第33条に唱われる、いわゆる「ノン・ルフールマン原則」(the principle of non-refoulement)を知らない訳ではあるまい。難民認定申請者を本国に強制送還する一方で、将来起こる人材不足を鑑み、「安く使える」という理由でフィリピンやタイから医療・福祉従事者を導入しようと考える。日本政府の人権感覚は、かなりお寒い。

難民は彼らの生命や自由が脅威にさらされるおそれのある国へ強制的に追放したり、帰還させてはいけない。(難民条約第33条、「ノン・ルフルマンの原則」)
庇護申請国へ不法入国しまた不法にいることを理由として、難民を罰してはいけない。(難民条約第31条)

「UNHCR Japan - 難民保護」より


1月29日(土)

今日は、一日じゅう本屋をハシゴしていた。

 まずは神保町。毎週金曜日と土曜日に、東京古書会館ビルの地下でやっている古本市へ。本好きの友人も、ここにまだ気付いていない人が結構いる。古書センターと勘違いしている人もいる。

 あぁ、ひょっとして、東京古書会館をお探しですか? よかったらご案内しましょうか? いいえね、私も古本市に行く途中なんですよ。

 東京はお茶の水、駿河台のこのあたりは古くからの楽器街。駅から出てパチンコ屋のほうに交差点を渡り、そのまま坂を下りてドトールの先の床屋の角を左に曲がってすぐ左手の、ほらあそこ、あそこがお探しの古本市会場、東京古書会館。何とも目立たない入り口ですが、金曜日・土曜日のこのビルの地下一階は、常連客が集まって賑やかになるんです。さぁ、着きました 。(某 FM 番組風)

 ここの古本市は、戦時中の雑誌・書籍が充実している。今回は、佐賀県中等教育会[編]『葉隠抄』(冨山房、昭和16年)と福島清彦『ヨーロッパ型資本主義』<講談社現代新書>(講談社、2002年)のみ購入。前者は「武士道といふは死ぬ事と見付けたり」で知られる『葉隠』を、戦意昂揚のために抜粋・編集した学生向けの読本。後者は、何となく購入。

あと、最近、気が付いたら「神保町古書モール」なるものが出来ていた。

 あぁ、ひょっとして、古書モールをお探しですか? よかったらご案内しましょうか? いいえね、私もあの店に行く途中なんですよ。

 東京は神田神保町、すずらん通りのこのあたりは古くからの書肆街。そして三省堂と隣のコンビニのあいだを入って、エレベーターで5階まで上がった先の、ほらあそこ、あそこがお探しの古書モール。何とも目立たない入り口ですが、連日このビルの古書モールは常連客が集まって賑やかになるんです。さぁ、着きました。(再び、某 FM 番組風)

 かなりの品揃えで、けっこう愉しい。ご存知ない方は是非お出かけになることをお勧めします。ここでは、なんと、ジャック・トレイシー『シャーロック・ホームズ事典』<シャーロック・ホームズ全集・別巻>(パシフィカ、1978年)を発見。これが別の出版社から復刊されたもの も 三省堂で売っていたが、こっちのほうが安いので購入。同じ本が、ジャック・トレイシー(日暮雅通[訳])『シャーロック・ホームズ大百科事典』(河出書房新社、2002年)としても出ている。オックスフォード=河出版全集の別冊かなにかだったような気がする。これは、エピソード別の用語索引がついていて便利だ。おカネがあればこれを買うのに……。ところで、ホームズの研究書の類を買うのは、これが初めて。あと、色川大吉[編]『民衆憲法の創造』(評論社、1970年)を購入。八王子・町田などの多摩地域の豪農たちが、自由民権運動の影響を受けて、明治政府に対抗して自主憲法を研究・草起していた事実を発掘・研究した歴史書。宮崎駿監督『もののけ姫』(スタジオジブリ、1997年)の下地になっている中世史家・網野善彦の一連の著作と併せて読むと、中高で習う、いわゆる日本の「正史」とは別のパースペクティヴが広がる。

 続いて中央線で新宿へ。紀伊國屋書店新宿南店→ジュンク堂書店新宿店→紀伊國屋書店本店の順序でパトロール。異常ナシ(?)。続いて埼京線で池袋へ。暗くなってきたので、ジュンク堂書店池袋本店のみで引き上げる。結局、新宿・池袋では新書を2冊購入。何を買ったかは、まだナイショ。

Encychropedia
Encychropedia
Mononoke
『SH事典』
『SH大百科事典』
『もののけ姫』

Amazon.co.jp「本+CD Amazonギフト券還元プログラム」
■Amazonギフト券還元キャンペーンへのリンク

戻る  トップ・ページへ

This website is produced and maintained by Victor Archer Fleischmann & Masaru S
Copyright©2005 The Hound on Internet

 Amazon.co.jp アソシエイト